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第4回 島は生きている

通信史上稀にみる災害復旧の連続

「電話の歴史が始まって以来、交換機は、稼働しているか、新しいものに交換するかのどちらかしかなかった。三宅島のように何カ月も停止させておく場合には、どのような保守が必要なのか、専門家にも経験がない。とりあえず潮風による被害を防ぐために強力な除湿剤を交換機内に置いたり、目張りをしたりした」

NTT東日本の災害対策担当者は、当時を振り返って語る。噴火からおよそ半年、2000年12月27日に三宅島では島内の通信設備が停止した。周辺4島への迂回ルートの構築と停止までを「第1期」の対策期とすれば、2001年4月から、避難命令が解除されて帰島が始まる2005年2月までが本格的復旧に向けた「第2期」の対策期となった。

2001年に入って島内では本格な復旧作業が始まった。道路、治山、港湾、住宅、電気、水道、そして通信網だ。通信網は、災害復旧関係者への通信を確保するだけでなく、新たな使命も待っていた。

同年3月、通信網の復旧は、泥流被害を受けやすい区間の通信ケーブルを敷設し直すことから始まった。そして4月、商用電源の供給開始にあわせて、停止していた交換機の起動作業が行われた。

「起動スイッチを入れると"ブーン"という交換機のうなり音がして、皆で『おぉ』と感激した。『交換機は生きてるぞ』ってね」とNTTグループの技術者たちは復旧の決意を新たにした。

さらに6月には島内の16の沢に泥流発生警報装置(センサー)や泥流監視カメラ・雨量計、地震計などからなる監視装置の通信回線部分の工事が始まった。これらは、砂防ダムの建設や泥流を安全に流して地面の浸食を防ぐ「泥流経路」の設置工事などを安全かつ迅速に行うためにも不可欠なもので、通信網は島の復旧作業と安全を支える重要な役割を担うことになったのだ。

時計の針を進めよう。2004年7月、三宅島村と東京都の間で、帰島方針が確認されると同時に、NTT東日本やNTT-ME東京西支店の技術者たちも慌ただしくなった。

8月に初めて三宅島に入ったNTT-ME東京西支店三宅島担当主査の三田昇は、あまりの惨状に声がなかった。「一番驚いたのは吊線の脱落でした」。

電柱間には、通信ケーブルとは別に吊線と呼ばれる太いワイヤーが張られ、ケーブルは吊線に支えられるようになっている。その吊線が、4年以上もの間に潮風と火山ガスで腐食し、重さに絶えられずに脱落してしまっていたのだ。
「脱落した吊線の背後には、火山ガスで白く立ち枯れた山の木々がある。なんという風景だろうか、とぞっとしました」

東京に戻った三田はすぐに復興計画の策定を具申し、これを受けて復旧に向けた大規模な設備実態調査が始まった。投入された技術者はのべ100人。

その結果、1202本ある電柱のうち410本が火山ガスによる酸性雨で茶褐色に朽ち、島内総延長78キロの電話線のうち22キロが腐食、公衆電話も24台が錆びて使いものにならないことが判明した。通信ケーブルの接続部や電柱に取り付けてある金属の締め具などもほとんどが腐食していた。

11月下旬から順次、本格的な復旧工事が始まったが作業は被災地であることから厳しさを増した。現地では火山ガスの濃度と風向きによっては、作業中に退避を余儀なくされ、ガスマスク必携の復旧作業であった。林道などまだ完全に復旧していない道路をのぼり、バケット車と呼ばれるクレーン車で一本一本復旧していく。

島の冬は、想像以上に寒く厳しい。雪こそ降らないが、冷たい風が容赦なく島を吹き抜けていく。高く上げたクレーンの作業カゴの中では寒さで指がかじかみ、思うように作業が進まない。作業が終わっての楽しみである食事も、食材の少ない中で作る弁当だけで、おかずは缶詰や加工食品ばかり。水事情から風呂も思うように使えず、NTT三宅ビルの当直室で疲れたからだを丸める日々であった。

この厳しい環境の中、2005年2月1日の避難指示解除までに7割の復旧工事が進んだ。帰島のピークと予想される5月にはすべての工事を完了する予定だ。

しかし、紹介したのは、通信網の基幹部分の話に過ぎない。実は、島の通信網の復興は今、「第3期」とでもいうべき段階に入っている。帰島した住民が家に戻ると、今度は加入者回線ごとに一つひとつ開通していく作業があるからだ。最寄りの電柱から加入者宅まで延びる引き込み線を直したり、電話機を設定したりする。つまり、利用者と向き合った復旧作業が本格化している。

全島避難当時の三宅島の一般加入者数は2441、専用線サービスは194あった。NTT東日本とNTT-ME東京では、帰島前から島民に会い、いつ頃の帰島を予定しているかを調査している。その調査結果に基づいて作業予定を組み、帰島時には即座に対応できる体制を練った。

さらに周辺諸島の中心となっている島だけに、専用線サービスの加入者数が多く、この復旧を早めることが島の復興を早める一助となる。

島の人たちと向き合いながら電話の開通作業に当たり、共に本格復興へと歩み出しているのが、三宅島に在住している7人のNTT-ME東京三宅島担当社員たちである。彼らもまた被災者として東京で4年半の避難生活を送りながら、島で復旧作業にあたってきた。

彼らは今、どのような思いで島に戻ったのか。話を聞いた。

電柱を建て直し、島内の基幹通信ケーブルを取り替える

火山ガス探知機を携行し、安全を最優先

4ケ月ぶりに交換機を起動した

安全な復旧作業のために泥流監視カメラが設置されている

寒さをこらえながら金具を取り替えていく

電柱からの引込み線を修理し、各家庭の帰島に備える

集合住宅の電話の準備にも余念がない

帰島第一陣の島民として三宅島へ帰るNTT−ME東京の社員たち

取材:船木 春仁