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第4回 島は生きている

三宅の孤立は、伊豆諸島の孤立になる

三宅島は伊豆諸島をつなぐ通信網の要所だ。三宅島の通信が孤立してしまうと、三宅島の通信設備を経由する周辺4島(神津島、御蔵島、八丈島、青ヶ島)の通信も孤立してしまう。そのため、三宅島の通信網を守る戦いは、2000年9月の全島避難指示が発せられる前から始まっていた。

全島避難の3カ月前にあたる2000年6月26日。「雄山に噴火の恐れがある」と気象庁が発表し、避難勧告が発令された。これを受けてNTT東日本は、島内の避難所に緊急連絡用として特設公衆電話(無料)を設置。さらに翌日には、通信孤立を防ぐために東京からポータブル衛星と衛星携帯電話をヘリで緊急空輸した。

さらに周辺4島の通信途絶を回避するためにポータブル衛星装置やデジタル衛星車載車、衛星携帯電話などを4島にも空輸した。デジタル衛星車載車は、行政側の要請で自衛隊が八丈島に空輸することになったが、車載のままでは輸送機に入らないため車載車を"分解"して空輸した。

7月8日、雄山が噴火した。大量の火山灰を降らせ、その後の大雨により大規模な泥流が発生。泥流で島の北東部では電柱が根元から折れ飛び、通信ケーブルの切断などの被害が出た。

しかし、通信網を守る本当の意味での苦闘は、9月2日の全島に避難命令が発令され、三宅島が無人の島となってからのことだった。

災害対策関係者を除いて全島民の避難が完了したのは4日。そして翌日には、島内の商用電源の供給が停止。濃度の高い火山ガスが発生しており、商用の発電設備を維持するのは危険との判断だった。これにより、三宅島を経由している周辺4島の通信網は途絶する危機にさらされた。

伊豆諸島を結ぶ通信網のうち海底ケーブルは、伊東−大島そして三宅島のNTT東日本阿古ビルへとつながり、そこから八丈島へと延びている。さらに一部迂回ルートとして築かれている無線(マイクロ波)による通信網は、大島から新島を経由して同じく三宅島の阿古ビルの無線中継アンテナにつながり、ここから神津島へ、さらに島内の有線ルートを使ってNTT東日本小手倉ビルの無線中継アンテナを経由して御蔵島と八丈島に分かれ、さらに八丈島から青ヶ島へと飛んでいる。

これら三宅島の通信設備への電源供給が停止することで、神津島、御蔵島、八丈島、青ヶ島の合計約7300回線(一般加入電話数)が孤立してしまうのだ。

三宅島の各ビルの通信設備には、非常用発電機が備えられているが、それを稼働させるためには定期的に燃料補給と潤滑油の交換を行わなければならない。NTT東日本三宅ビルに置かれてある備蓄燃料タンクの容量が小さいためにタンクローリー車を海上輸送してタンクと合体。給油間隔を長く取る措置も取られた。

しかも島内にとどまれないので、隣の神津島に現地災害対策本部を設置し、小型船で燃料を運んだ。当時、作業を担った技術者は、「いつ燃料が切れるかは分かっているので、海が時化(しけ)ていても船を出さなければならない。神津島から三宅島までは約30キロで、約1時間半かかる。慣れない私たちにとって冬の海はジェットコースターに乗っているようなもので、気分が悪くなって船で倒れていたことは一度や二度ではなかった」と語る。

一方、周辺4島への応急の迂回ルートづくりも始まった。先述したように、周辺4島にはデジタル衛星車載車などが運ばれていたが、あくまで緊急用であり、日常の通信を支えるものではない。そこでまず、三宅島の阿古ビルを経由していた海底(光)ケーブルを、八丈島に向かうケーブルに直結して八丈島以降の通信サービスを確保。

また神津島では天上山に小型の災害用可般型無線(マイクロ波)中継アンテナを設置して、大島とダイレクトに結ぶ無線伝送ルートを構築した。さらに御蔵島ではデジタル衛星車載車による衛星伝送ルートを新設する対策が施された。いずれの作業とも11月の中旬にまでは完了した。

作業を指揮したNTT東日本東京支店災害対策担当主査(当時)の遊佐眞は、「特に大島と神津島を結ぶ迂回ルート構築に全力を注いだ。災害対策機器で迂回ルートを作るのは前例がなく、やってみなければ分からないという状況だった」と打ち明ける。

実際、設置当初は強風のためにアンテナがずれて通信エラーが頻発した(マイクロ波は波長が短いので、少しでもアンテナの角度がずれるとエラーとなる)。そのたびに天上山に登り、冷たい海風と雨でびしょ濡れになりながら原因の究明とアンテナ角度の修正などが繰り返された。

ここまでに投入された通信技術者はのべ2万人。NTT東日本東京支店三宅営業所長(当時)の雨宮五郎は、「いつ島民が戻ってきても電話を使えるようにしておきたいという思いが皆を支えていた」と語る。

三宅島の通信サービスは、島内に入る災害対策関係者へ提供するのみとなり、そのための通信設備は非常用発電機を運転して電力を供給する形となった。

しかし、非常用発電機を長期間運転した実績はない。耐久時間を検証してみると、累計運転時間3000時間以内に一度エンジンを停止し、主要部品を交換しなければ継続運転が保証されないことが分かった。NTT東日本は決断を迫られた。

東京都と協議を続け、一時的に衛星携帯電話と東京都の防災無線で通信網を確保することになったのだ。そして2000年12月27日、非常用発電機の電源を切り、三宅島にあるNTT東日本の通信設備はすべて停止した。耐久限界となる3000時間の2週間程前のことだった。

停止されるまでの約3カ月の間に、燃料補給は35回、潤滑油取り替えは30回にもおよんだ。

"分解"して自衛隊輸送機で八丈島に空輸した「デジタル衛星車載車」

ヘリコプターで空輸したポータブル衛星装置

泥流によって折れ、飛散した電柱

御蔵島への通信を確保する小手倉無線中継所

神津島の天上山山頂に迂回ルートを構築

神津島に移したNTT東日本の災害対策本部から三宅島に向かう社員たち

小型船をチャーターして非常用発電機の燃料を運んだ

燃料補給は35回、潤滑油交換は30回にも及んだ

取材:船木 春仁

【参考】伊豆諸島の通信網ルート図はこちらから
(2001年7月5日NTT東日本ニュースリリースより)