私はあの日、大津波から避難してこの米沢商会のビルの屋上で一晩を過ごしました。とにかく妻と生まれたばかりの娘の無事を確認したくて電話をかけましたが全然つながらず、「通じてほしい、家族の声が聞きたい」とその時ほど強く思ったことはありませんでした。何が起きてもつながるということはすごく難しいことなのだと思いますが、あの時の私のような思いをもう二度と誰もしなくていいように、通信の確実さや強さというものにはすごく期待しています。私はこの建物を取り壊さず残すことで、年月が経って、ちょっとずつ薄らいでいくあの日の記憶と津波の恐ろしさを、被災地以外の人や娘たちの世代にも伝えていくことで、未来につないでいきたいと思っています。