ホーム > 企業情報 > 広報宣伝活動 > EASTギャラリー > 人の想いは、つながっていく > 気仙沼プラザホテル 後編


みんなに、気仙沼を好きになってもらいたい - 気仙沼プラザホテル 堺丈明 支配人
みんなに、気仙沼を好きになってもらいたい - 気仙沼プラザホテル 堺丈明 支配人

支配人、ちょっとクレームです

フロントスタッフからクレームとの報告を受け、堺さんがお客様のお部屋にうかがうと、突然怒鳴られたという。震災から少し経った、2011年10月のことだった。

「なんだこのホテルは!」と、突然大きな声で。びっくりしましたけど、お話をおうかがいすると、「ホテルに入ってきた時に『いらっしゃいませ』の言葉もない、お部屋までお客様をご案内することもない、部屋に入れば、布団が敷きっぱなし。普通のホテルじゃ考えられないよ」とおっしゃる。確かに、復旧支援者の方々を受け入れていた時期も長く、正直、私も含めて従業員の誰もが、お客様を「おもてなし」の気持ちで受け入れようという意識がなくなってしまっていました。従業員の中には家を流されたり、家族を亡くした者もいて、先行きのわからない状況の中、どうしても「被災者」という意識から抜け出すことができなかったのも事実です。クレームをくださったお客様は、東京都から大船渡に住むおばあちゃんのお誕生日をお祝いするために当館にいらして、一緒に滞在することを楽しみにしていらっしゃった。それなのに、これはなんだ、と。

その言葉で、堺さんの目が覚めた。

支配人の前はフロント課長だった堺さん、接客も得意だ

ひとしきり怒鳴られたあとで、私がお返しした言葉は「ありがとうございます」だったんです。「申し訳ありません」ではなくて。このままでは、将来、観光のお客様は来なくなってしまう。それではダメなんだ、ということに気づかせていただいた、感謝の気持ちからの言葉でした。それからいろいろお話をして、「こういう状況なのはわかるんだけど、本来旅館がやるべきことがあるんじゃないか」と。毎日満室で、みんな忙しく仕事をこなしている。毎日は過ぎていく。でもその先、どうなっていくのか。ずっとモヤモヤと、答えを出せないままだったのですが、怒鳴られたことで、自分の気持ちが固まりました。

おもてなしの心を、
従業員一人ひとりに伝える

それから堺さんは、本来の観光ホテルとしての「気仙沼プラザホテル」を取り戻すべく、支配人として奮闘をはじめた。

月日の経過とともに、少しずつですが、復旧・復興の長期滞在工事関係のお客様をお断りすることにしました。不思議と1年ごとにお客様の切り替わりがありました。1年目は復興支援者・支援団体、2年目は視察団体が多くいらっしゃいましたが、3年目になると、少しずつ観光のお客様が増えてきました。そうしたニーズにしっかりと対応しようと、観光用の、たとえば懐石料理をしっかりとお出しするプランなどを押し出していきました。私はたまたま家も家族も無事でしたが、そうではない従業員の中には、おもてなしの気持ちをまだ持てない、という者もいました。私たちはサービス業ですから、お客様に喜んでいただくのが仕事の基本です。そういう気持ちになれない、という従業員には、毎日のように声をかけました。時間はかかりましたが、少しずつ、彼らの気持ちも変わっていったと思います。

嫌いだった気仙沼が、
どんどん好きになる

そうした取り組みを根気よく続け、なんとか観光ホテルとしての「気仙沼プラザホテル」を取り戻そうと奮闘する中で、堺さん自身の意識が変わっていったという。

震災前は北関東から東北エリアのお客様が多かったのですが、震災を機に、ありがたいことに、全国からお客様にお越しいただけるようになりました。おかげで気仙沼の外のいろんな方との繋がりができて。その方たちに、逆に気仙沼の魅力を教えてもらったんです。実は、私は震災の前は気仙沼が嫌いだったんですよ。気仙沼に長年勤めていながらお恥ずかしい話ですが。「魚臭い、なんにもない街だな」って思っていたんです。ところがお客様に聞いてみると、それがいいんだ、とおっしゃる。魚が美味しい、景色がいい。自分にしてみれば毎日食べていた味、毎日見ていた景色。それが東京からいらっしゃる方、大阪からいらっしゃる方にとっては特別な経験なんです。自分たちはすごく恵まれているんだと気付かされ、地元気仙沼に愛着と誇りを持ちはじめました。

最高級のスイートルーム。窓からは気仙沼湾が一望できる

そこで堺さんは、気仙沼の魅力を伝え、発信することにも取り組み始めた。

まずは朝、魚市場の様子をのぞきに行くことにしました。そうすると、いろんな事がわかってくる。その日揚がってきた魚の種類、値段。今どの魚が安くて美味しいのか。「今日はメカジキが安いな」とか「サメが揚がっているから、『もうかの星』(サメの心臓の刺身)が食べられるな」とか。厨房のスタッフと食材について情報交換したり、また旬の魚をお客様にお伝えしたりする。そんなことから始めて、気仙沼で起こるさまざまな出来事、自分が見聞きしたことをSNSで発信するようになりました。そうすると全国の皆さんからコメントをいただけたり、SNSでつながった人がお客様としてホテルに泊まってくださったり。どんどん楽しくなってきちゃって(笑)。

子どもたちにも、
気仙沼を好きになってもらいたい

堺さんは、外の人たちから魅力を教えられることで気仙沼を好きになった。堺さんは、今度は自分たちの子どもの世代に、気仙沼の魅力を伝えたいと意気込んでいる。

震災を乗り越え、チームワークとおもてなしの心が一層強くなった

今では、気仙沼の同世代の企業経営者や、気仙沼のためになにかやりたいっていう連中と組んで、地域づくりにも関わっています。気仙沼では震災を機に世代交代も起こって、多くの企業で、私と同じくらいの年齢の経営者が誕生しています。彼らと一緒に、柔軟な発想で地域づくりをしていこう、と。その中で、気仙沼の魅力を実際に感じてもらうことのできる体験型のプログラムをみんなで企画しました。景色を見て、美味しいものを食べるだけで終わるのではなく、「漁業の街」である気仙沼を、肌で感じてもらおうと、市場の見学をはじめ、魚を出荷するために使う氷を作っている氷屋さんや、漁具屋さん、造船所。そういった水産業の仕事場を観光客に見せ、体験してもらうことが気仙沼オリジナルの観光になる。そんな体験プログラムを「ちょいのぞきin気仙沼」として商品化しています。今、気仙沼で育っている子どもたちには、私のように気仙沼を嫌いになってほしくない(笑)。大人になったら一度は気仙沼を出るかもしれないけれど、またいつか戻ってきてほしい。気仙沼は、そんな魅力のある街だということを、ホテルの仕事はもちろん、SNSやこうしたまちづくりの取り組みを通じて、発信し続けていきたいと思っています。

前編へ戻る 前編へ戻る
  • facebookでシェア
  • Twitterでシェア