【参考】
出品作家と作品例
うしお鶏
《そこにいるもの》2023年
自分で撮影した風景の写真の上に、その場所に生息しているかもしれない生き物のようなものを描いています。
生き物のようなもの達は、カタツムリくらいのサイズから見上げる大きさまであり、その形もさまざまです。それらは街の風景の中に静かに溶け込んで、私たちが気づかなかっただけで元々そこに棲んでいたかのように見えます。
大昔から、妖怪や、お化け、魔物など不思議な生き物を人は描いてきました。これらは大きな自然や災害など、人間の理解を超える物事の説明する方法にもなってきました。いつもの風景の中で、自分だけが知っていることを生き物にしてみたら、それはどんな形のどんな生き物になるでしょうか?
大原崇嘉
《Gazes》2023年
本作では、ボリュメトリックキャプチャという技術による、アーティスト本人の等身大の3Dモデルが使用されます。この3Dモデルは5台のディスプレイを使って映し出され、さまざまな方向に視線を向けています。
5つの映像の遠近感は、3Dモデルの視線の向きによって常に変化し、その視線が作品を見る人の視点に向けられる時、つまり「目が合う」時にだけ、ひとつの統合した仮想空間が知覚できる仕組みになっています。
この時、私たちは自分が作品を「見ている」のでしょうか、それとも作品に「見られている」のでしょうか。
「見ること」と「見られている」ことの間に、もしかすると今まで気づかなかった新しい自分の視点が見つかるかもしれません。
菅実花
《非反転劇場鏡》2022年
《非反転劇場鏡》は、題名のとおり、通常は自分の姿が左右反転して映るはずの鏡に、さらにそれを反転させることで正像を映し出す鏡です。普通の鏡に映るイメージは、実際に自分が人から見られているイメージと異なり左右が反転しています。したがって、私たちは多くの場合、左右反転した自分の顔のほうに親しんでいることになります。そのため、この鏡を見ると、自分の顔がいつもとちがうように見え、鏡の向こうからもうひとりの自分が現れたかのような錯覚を起こさせるかもしれません。菅は、自分そっくりの人形と一緒に写真の被写体となる作品を制作しています。本物と人形の菅が、どちらがどちらか区別がつかない、けれども何かちがうように感じように、鏡に映る体験者は、自分が自分のようで少しちがうように感じるかもしれません。
木原共
《Future Collider》2021年
架空の看板や標識を、ARの技術を使ってさまざまな場所に設置します。
新しい看板や標識によって街の風景はどのように変わっているでしょうか。
誰も体験したことのない未来について想像するのは簡単なことではありません。人と人の間に距離を置こう、といったソーシャル・ディスタンスを促す標識は、新型コロナウイルスの流行以前には想像できなかったものです。
看板や標識は、その時代の社会のルールや売り買いしたいもの、流行などを表してきました。未来では、どんなことがみんなのルールになっているでしょうか? どんなものが流行っているでしょう? そして今まで見たことのない看板や標識に囲まれて、私たち自身はどのような日常を送っているでしょうか?
黒田大スケ
新作
黒田は、自分が興味を持っている出来事を調べて、その出来事に関係する人を自ら演じる映像作品を作っています。その際に、顔や体に動物の絵を描いて、それらの動物がしゃべっている様に見せる工夫をすることで、アヴァター(分身)化し、感情を表現しやすくしています。もともと彫刻を学んだ黒田は、ある時、作ることに疑問を持つようになり、彫刻のことが分からなくなりました。それ以来、彫刻とは何かについて調べることを通じて、彫刻をもっと理解したいという思いから、実在した彫刻家を動物の姿で演じる映像を作るようになりました。黒田にとって、誰かを演じることは深くその人について考えることでもあり、その人の気持ちを理解するひとつの方法なのです。
古山寧々
《「☆¿※◉♯」が私を擬物化すると》2023年
パソコンや椅子、ベッド、ライト、アイスクリームなど、古山の生活空間にあるさまざまなものから自分がどのように見えているのか、という考えから「ものから見た人間(古山)」像を表現する装置を制作しています。
人間がパソコンに関わるとき、指でキーボードを操作します。このときパソコンからは、パソコンと直接関係する指だけが人間として認識され、指としてしか存在していないように見られていると考えられるのではないでしょうか。
古山の作品では、ものたちが人間をものになぞらえて認識しようとする、「擬人化」ならぬ「擬物化」することを想像することで、人間と非人間との立ち位置を入れ替えることを試みています。
佐久間海土
《Ether – liquid mirror》2020年–
この鏡には音が閉じ込められています。
鏡はふつう目に見えるものが映りますが、この鏡は音とともにふるえることで、目に見えないものをその表面に映し出します。
人間が五感を使って周囲の情報を知るときに、視覚から得る情報はその80%以上だともいわれています。しかし見るだけでなく、耳で聞き、味わい、匂いを嗅ぎ、手で触ること、見えなかったり、言葉にしにくい、自分だけの体験によって知っていることもこの世界には沢山あるのではないでしょうか。
音や、気配、といった見えないものが鏡に映し出される時、私たちはより立体的にこの世界と自分自身の姿を感じ取っているのかもしれません。
村本剛毅
《Lived Montage (series)》2020年–
村本は「他人と意識しているものが共有されたときに視覚もまた共有される」という架空の知覚のかたちを妄想しました。そしてそれを実際に体験するために、カメラとディスプレイと聴診器とアンテナを装備した独自のメディアを作りました。そのメディアを装着すると、「偶然その時自分と同じものを意識している全員の視界が自分の心拍のタイミングで映画のように切り替わっていく映像」が、自分の視界になります。これは新しい知覚のかたちでもありますが、いつからか私たちの奥で動いていた知覚のかたちでもあるかもしれません。
久納鏡子
共同キュレーション、展示ディレクション
アーティスト、アルスエレクトロニカ・アンバサダー。
これまで、インタラクティブ・アート分野における作品を手がける一方、公共空間、商業スペースやイベント等での空間演出や展示造形、大学や企業との共同技術開発など幅広く活動している。2017年からはアルス・エレクトロニカ・フューチャーラボの研究プロジェクトにも携わる。
作品はポンピドゥー・センター(フランス)、SIGGRAPH(アメリカ)、文化庁メディア芸術祭など国内外で発表。東京都写真美術館(日本)に所蔵。