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災害時用公衆電話(特設公衆電話)の設置

伝えていくこと“あの日の記憶” 極寒の中にあった思いやる心。 (当時) NTT東日本-岩手 釜石サービスセンタ 古里典之

「何か連絡が取れる手段はありませんか?」

固定電話も携帯電話も不通になった東日本大震災発生直後から、多くの方がNTT釜石サービスセンタに集まっていました。センタは港から距離もあり、津波被害がほとんど無かったことと、発電機で電気も点いていたので、NTTに行けば何とかなるのではないか、と思われたのでしょう。多くの方々が通信手段を求めていました。携帯電話の充電も切れてしまい、安否確認が出来ず不安そうでした。非常時用の衛星携帯電話2台を急いで用意し、それをご利用いただくためにビルの軒下に机を並べて、即席の電話コーナーを作りました。深夜2時半くらいまで、入れ替わり立ち替わりで多くの方がいらっしゃいました。翌日は2台の衛星携帯電話に加えて、孤立防止用の超小型衛星通信システム2台も倉庫から引っぱり出して組み立て、朝6時半から災害時用公衆電話をスタートさせました。朝5時過ぎから列が出来て、ピーク時には電話をするまでに5時間以上待つ方もいるほどでした。私たちは電話のそばに立ち、操作方法をご案内させていただきました。また、せっかく長い時間並んでも、充電が切れた携帯電話にかけたい電話番号が入っていて見ることが出来ない方には、充電器をつないだり、紙を用意してあらかじめかけたい電話番号をメモしていただいたりするなど、少しでも多くの皆さんに災害時用公衆電話の順番が廻るようにしました。

釜石サービスセンタ(上中島ビル)

災害時用公衆電話の順番を待つ長い列

長い列の中にあった思いやる心

使い捨てカイロを作っている会社の社長さんだと思いますが、「使って下さい」と段ボールでカイロを持ってきて下さいました。寒い夜に災害時用公衆電話の順番を待つ列に並ぶ皆さんへ配ることが出来て、すごく嬉しかったです。ただ、ご家族の無事が確認出来て安堵されている方がいる一方で、ご家族やご自宅の悲報を話されている方もいるという現実でした。こればかりは本当に辛かったです。
日が落ちて寒くなった頃、長蛇の列の中に赤ちゃんを抱えたお母さんの並んでいる姿がありました。皆さん寒さに耐えて並んでいましたし、誰かを特別扱いしてよいものか迷いましたが、思い切って、ここに赤ちゃんを連れている方がいます。前の方に入れてもらえませんか、と声を振り絞りました。すると、心配とは裏腹に前にいた人たちがサッと順番を譲ってくれました。そのお母さんは電話を終えると、列に並んだ人たちを見渡せる所まで下がり、凛とした大きな声で、「ありがとうございました」と御礼を言い、深々と頭を下げました。列に並んでいた皆さんも「良かった、良かったね」と。長い待ち時間で、皆さん疲れていたと思うのですが、そんな譲った人も、譲られた人も心温まる譲り合いの姿がとても心に残っています。

「つなぐ」の拠点になる使命

当時、NTTの局舎は情報交換をしたり、壁にメッセージを貼って伝言を残したり、電話をかけにいらっしゃった方々の再会の場所になったり、電話をする以外の役割も果たしていました。私たちが、こういった“つながり”の拠点にもなりうることをその時強く感じました。また、全国各地から通信復旧のために資材を持って集結してくれたNTTグループのチームワークにもあらためて触れることが出来ました。今、振り返ると“もっとこうしたら列を短く出来た”など、いろいろと思うところはあります。だからこそ、この地震のことは絶対に忘れちゃいけないと、ちゃんと伝えていかなきゃいけないと思います。地震の時、最初にどんなことが起きたかとか、何が足りなかったかといったこと。そして、あの記憶そのものを今後の災害対策にずっと引き継いでいかなきゃいけないと思っています。

少しでも多くの方に順番が廻るように操作を手伝う社員

上中島ビルの壁に貼られた家族・親戚や友人への伝言