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安全と安心の提供

伝えていくこと“あの日の記憶” つながる、という安心 (当時) NTT東日本-宮城 石巻営業支店 松川 泰

電源室浸水。途絶えた通信

あの日、新入社員と女川町のお客さまにフレッツ光導入の提案に行っていました。提案からの帰り道に「ゴー」という音とともに大きな揺れに見舞われました。とにかく早く局舎に戻り社員の安否を確認しようと山越えの道を急いで帰り、やっとの思いで到着したその5分後に津波がやってきました。間一髪でした。石巻営業支店は旧北上川の河口から2kmほど上流に位置していますが、1階はことごとく浸水しました。近所から避難してきた方々と社員約30人は2階に上がり難を逃れましたが、石巻市内に押し寄せた水は一向に引かず、結局丸2日にわたって全員が建物に閉じ込められました。津波による通信ビル1階の電源室の浸水が原因で電話がすべて不通になってしまいました。多くのお客さまにご迷惑をかけながらも、8日後にはなんとか復旧にこぎつけました。

水の勢いで押し流されたNTT東日本の工事車両

石巻市北上中学校に設置した災害時用公衆電話(特設公衆電話)

「無事に連絡が取れたよ。ありがとう」

地震から2日後。ようやく水が引いたため残っていた動かせる車両で石巻市、女川町、東松島市など担当エリアの避難所を廻り始めました。それぞれの現場で進めたのが、衛星携帯電話やポータブル衛星(小型衛星通信地球局)を使って、避難所に災害時用公衆電話を設置する作業でした。電話機を10台並べて10人ずつ電話をかけていただきましたが、電話がつながったとたんに泣き崩れる方、抱き合う方、そういう姿を目の当たりにしました。辛い思い、嬉しい思い、皆さんそれぞれでしたが、この仕事に携わる責任の大きさを実感しました。設置するまでは「早くしろ!」と叱られることもありましたが、電話が終わった後に「無事に連絡が取れたよ。ありがとう」と言い残してまた避難所の体育館に戻られていく後ろ姿が今でも瞼(まぶた)に焼きついています。NTTマークが入った車で走っていると「いつ復旧するんですか?」「早くしてほしい」と呼び止められることは珍しくありませんでした。多くのご要望をいただく中で、あらためて、通信サービスがつながることへの期待の大きさを認識することが出来たと思っています。

安心をつなぐ。その責任

つなぐ、という当たり前なことの重要さを、私を含め、この東日本大震災を経験したNTT東日本グループの社員はより強く感じたのではないでしょうか。石巻営業支店の社員の働きぶりを見ていて痛切にそう感じました。自分自身も被災者でありながら、お客さまの通信をつなぐためにヒッチハイクで車を乗り継いだり、徒歩で何時間もかけて出社したりしてくれた社員がいました。NTT西日本をはじめとするNTTグループからも多くの社員が支援に駆けつけてくれ、全員で局舎に寝泊まりしながら復旧作業にあたり、徹夜で作業をする姿もありました。そんな使命感を持った仲間がいたからこそ、私もあの難局を乗り越えられたのだと思います。社員への感謝の念は尽きません。今回の地震を経て、通信サービスがつながることで、安全の確保や人命の救出につながるということを地域のインフラ企業の集まりなどで耳にする機会がたくさんありました。あらためて、自分たちの事業の使命に気づかされました。お客さまに安心と安全を提供する。それこそが“つなぐ”ことの最も重要な価値だと思っています。

石巻市内の通信ケーブルの応急復旧作業

NTTグループ社員が復旧作業に集結