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みんなに、気仙沼を好きになってもらいたい - 気仙沼プラザホテル 堺丈明 支配人
みんなに、気仙沼を好きになってもらいたい - 気仙沼プラザホテル 堺丈明 支配人

新米支配人の初仕事は、震災対応

2011年1月。堺丈明さんは35歳の若さで気仙沼プラザホテルの支配人に就任した。長くつとめた先代の支配人と一緒に働きながら、徐々に支配人の仕事を覚え、いずれは引き継いでいく。そのはずだった。

2010年まではフロント課長でした。「そろそろ支配人の勉強をしなさい」と。もう数十年つとめているベテラン支配人のもとで、勉強しながらこれからキャリアを積み上げていく予定だったんですが、支配人になった途端、わずか2か月後に震災が起こって。私はその時、ホテルにはいなかったんです。休日で、市街地から連絡船で30分くらいの距離にある、大島の自宅で過ごしていました。地震で、唯一の交通手段である連絡船が不通になり、一週間ほど離島に閉じ込められていました。その間、所属している消防団の消火活動や遺体捜索などの活動をしていました。一週間後、ようやく気仙沼との交通手段が回復したので、市街地に渡ってきたんです。正直その時もまだホテルのことは頭になくて、私とは逆に気仙沼で足止めされていた妻を探すことが目的だったのですが、船を降りたらすぐ目の前に妻がいて。地震の直後にメールで無事は確認していたのですが、顔を見て、ようやく安心しました。そこで妻に大島の自宅のことを頼んで、自分はホテルに向かったのです。ホテルの建っている場所は幸い高台で津波の被害もなく、岩盤も丈夫だったため、被害は最小限で済みました。家を流されて、帰る場所のない従業員とともに、交代で泊まり込み、ホテルの番をしていました。被害はほとんどないとは言っても、壁紙など多少の傷みはあったのでそれを修繕したり、倒れた家具や調度品、商品などを片付けました。

気仙沼プラザホテル支配人・堺丈明さん

営業再開は、
ハローワーク臨時相談窓口から

交代でホテルの番をしながら、営業再開のための準備を進める堺さん。しかし堺さんの新米支配人としての仕事は、意外なところからはじまった。

ホテルとしての営業再開よりも前、4月11日から、ここはハローワーク気仙沼臨時相談窓口としてオープンしていたのです。被災してしまったハローワークの事務所に代わって、震災によって仕事を失った人たちが、失業保険の手続きなどを行うことのできる場所が必要でした。幸い当館は発電機と給水車を借りることができたので、フロントロビー階となる2階の電気とトイレを流す程度の水は確保できていました。そこで、臨時相談窓口として2階を貸してもらえないか、と相談があったのです。ホテルとして営業を再開したのは、そこからさらに半月以上経った、5月1日のこと。4月30日に水道と電気が回復するのに合わせてのことでした。営業再開後もしばらくの間、2階はハローワークとして開放し続けていました。

忙しさの中で忘れてしまった
「おもてなし」の心

2階はハローワーク、3階から上は客室、という変則的な形で営業を再開した気仙沼プラザホテル。その後も「震災ならでは」の、イレギュラーな事態が続く。

すでに仮設住宅の建設が市内ではじまっていました。工事関係者が市内で宿泊する場所がなく、毎日一ノ関など近隣の都市から1〜2時間かけて出勤するという状況が続いていました。当館で泊まっていただくことで、少しでも復旧のスピードがあがるのなら、と、復旧支援者の宿泊所として活用していただくことにしました。震災直後ということもあって、材料も人手もそろわず、料理も手の込んだものはお出しできず、おもてなしがなかなか行き届かないところもありましたが、それでも「雨風がしのげて、あたたかい料理が食べられて、温泉に入って布団で寝ることができたら、ありがたい」というお声をいただきながらの営業が続きました。1年目はこうした復旧支援者の方々、2年目に入ると地方公共団体からの視察などが続いて、ホテルはずっと満室の状態が続いていました。

一方で、被災したホテル従業員の生活の立て直しや雇用の確保といった大きな課題も、堺さんの前に立ちはだかっていた。

堺さんは震災当日からしばらくの間、大島に閉じ込められていたという

周りの企業が次々と従業員を解雇していく中で、親会社・株式会社阿部長商店の社長である阿部泰浩は、グループ全体の雇用を守ると決めました。「雇用調整助成金」という制度を活用しましたが、いろいろ大変でした。研修を受けながらも、ホテルの業務をしなければならないのですから。ホテルはずっと満室でしたし、やるべきことはたくさんありました。

こうした状況の中で、気仙沼プラザホテルが本来持っていた「おもてなし」の心を忘れてしまっていた、と堺さんは振り返る。それを取り戻すきっかけになったのは、あるお客様からのクレームだった。

震災直後から新米支配人として、スタッフへの声がけを心がけた

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