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東日本大震災という災害

伝えていくこと“あの日の記憶” ”千年に一度”の未曾有の大災害

東日本大震災は世界第4位のマグニチュード9.0という巨大地震(東北地方太平洋沖地震)がもたらした災害であり、この巨大地震がさまざまな災害を誘発した複合災害である点が最大の特徴であった。地震、大津波、大規模停電、燃料不足、原子力災害などその影響範囲は東北地方のみならず全国に及んだ。

巨大津波による被害

東日本大震災を象徴しているものが大津波である。地震発生から30分以内に第一波が東北沿岸で観測された。その後、岩手、宮城、福島を中心に大津波が押し寄せ大きな被害をもたらした。海底の汚泥や瓦礫を含んだ「射流」と呼ばれる強力な圧力によって陸上の構造物に甚大な被害が及んだ。今回の震災において、東日本の通信ネットワークに阪神・淡路大震災を上回る被害をもたらしたのも津波であった。
気象庁津波観測施設で観測された津波の高さは福島県相馬市9.3m以上、宮城県石巻市が8.6m以上などとなっているが、気象庁が痕跡高をもとに推定した津波の高さは、岩手県大船渡市で16.7mとされたほか、軒並み津波観測施設で測定された値よりも高くなった。またその後、いくつかの民間調査の結果、岩手県宮古市の姉吉地区で38.9m、宮古市の田老地区で37.9mなど30mを超えていたエリアがあったことも判明した。

製油所の被災による燃料不足

今回の地震により、千葉県および宮城の石油貯蔵施設が炎上するなど、石油精製システムが大きな被害を受け、神奈川、千葉、茨城、仙台で計6ヵ所の製油所が停止した。このため、燃料調達困難状況が発災直後から発生し、この影響は被災地の東北地方のみならず関東にまで及んだ。また期間も、政府備蓄の活用や比較的供給能力に余裕のある西日本からの供給など、全国的な支援体制が確立されるまで燃料不足は長期に及んだ。ある程度まとまった量の給油が可能となったのは2011年3月下旬から4月上旬であった。

人的、物的被害

阪神・淡路大震災と比較してもその被害は甚大だ。死者、行方不明者は約3倍。過去の災害事例を見ても最大級の被害状況と言える。
被害の特徴は行方不明者が多いことである。都市部の直下で発生した阪神・淡路大震災の死因の77%が建物倒壊による圧死、9%が焼死・熱傷であるのに対して、今回の震災の原因は水死が90%以上を占めている。大津波により流出した瓦礫に巻き込まれたことによるものとみられる。被害が大きかった沿岸部などでは、リアス式海岸特有の山間部や傾斜地の多さもあり、仮設住宅を建設する用地確保が難航したことも人的被害と言える。2011年12月時点で募集中の仮設住宅もあったことから数量自体は足りていたと考えられるが、地域ごとの需給バランスは取れていなかった。
一方、建物の被害は直下型でなかったことなどにより、建物の全倒壊・崩壊は顕著ではない。しかし、大津波による被害により、すさまじい力で建物を押し倒されたり、窓などの開口部を破壊して侵入した海水によって生まれた浮力が建物を流出させた。

広範囲で確認された液状化の被害

最も被害が大きかったのは、埋め立て地の上にある影響を多分に受けた千葉県浦安市であり、市の面積の86%が液状化した。同じく東京湾に面するエリアはもちろん、河川周辺の造成地にも被害が発生している。

震災当日の首都圏の混乱

東京都内においてもJR山手線など首都近郊路線のほとんどが終日運休した。停電による給電停止や土盛区間や橋梁区間の一部および駅施設で被害があったとされている。このため首都圏では500万人を超える帰宅困難者が発生し、駅周辺などは大混乱となった。金曜日ということもあり、何時間もかけて徒歩で自宅を目指した人も多く、歩道だけでなく車道まで人であふれかえっていた。
また、震災発生直後から、首都圏のコンビニエンスストアやスーパーではミネラルウォーターや食品が買い占められ品薄状態になった。商品不足に陥ったのは、買い占めが殺到したことに加え、生産拠点が被災地にあったこと、道路が混雑して物流が乱れたこと、燃料不足でトラックの手配ができなくなったこと、被災地に向けての供給が優先され首都圏への供給が追いつかなかったことなどが原因だった。しかし品薄状態も3月下旬には沈静化した。

原子力発電所の事故

運転中だった東京電力福島第一原子力発電所の1~3号機が地震で緊急停止した。同時に地震の揺れで送電線や変電所が故障し、外部電源を喪失した。その後、原発を襲った津波で非常用ディーゼル発電機が浸水し、原子炉は冷却機能を失った。これにより、燃料棒が水面から露出、核燃料が融解(メルトダウン)した。メルトダウンの影響で水素が大量に発生したため、1、3号機が爆発を起こし、建屋が吹き飛んだ。同時に放射性物質が拡散し、多くの周辺住民が避難を余儀なくされることになった。
政府は3月11日にわが国で初めて「原子力緊急事態宣言」を発令し、度重なる水素爆発を受け、3月25日には原発から半径20~30kmの住民に対しても自主避難を要請するまでに至った。
一方で、避難した留守宅を狙った空き巣被害などが後を絶たず、住民からの要請を踏まえ、3月30日に福島県は避難区域を災害対策基本法に基づく警戒区域にすることを政府に要望。4月22日午前0時をもって、福島第一原発から半径20km以内を「警戒区域」に指定し、検問によって厳しく立ち入りを制限し罰則規定を設けた。立ち入り禁止区域が設けられたことは、その後、福島の復旧・復興に大きな影響を与えることになった。

大規模停電の影響

3月11日の本震の影響で、東北電力エリアと東京電力エリアの多くの発電所で運転が停止したほか、4月7日と4月11日の大きな余震によっても発電所が停止するとともに送電網が被災した。
福島第一および第二原子力発電所をはじめ、火力発電所や水力発電所および変電所・送電設備に大きな被害を受けた東京電力は、発災翌日の3月12日には計画輪番停電(以降、計画停電)の可能性を示唆した。大規模停電が発生する危険性を回避するため、一定地域ごとに電力供給を順次停止、再開する輪番停電の計画であった。
東京電力の計画停電は3月13日には政府の承認を受け、3月14日から実施され、以降28日までの平日に実施された。
幸い、社会的に大きな影響は出なかったものの各インフラ企業などが大きな負担を強いられた。さらに追い打ちをかけるように、その後、原子力災害によって、定期点検中の原子力発電所の運転再開が政府によりストップされ、1974年以来の電力使用制限令を東京電力エリア内で発動した。高需要企業はもちろん、一般家庭などに対しても節電が呼びかけられた。

NTTグループの対応

東日本大震災発生により、通信設備にも多くの被害が発生。発生直後は被害状況が全く分からなかったが、すぐに復旧作業を開始。NTTグループ総力を挙げて復旧作業を続ける中、被害状況の調査が終わり、復旧の見通しについて2011年3月30日、NTTグループ3社による記者会見を行った。通信ビルにおける設備の被災や商用電源の途絶などにより、固定系通信(固定電話やインターネット回線)で約150万回線のサービス影響が出るとともに、移動系(携帯電話)で約6,700の移動線局でサービス中断など甚大な被害状況を説明。
また、2011年4月27日には、応急復旧の取り組み、影響額、およびその後の対応などを知らせる記者会見を行った。

出典元:内閣府、総務省、経済産業省、消防庁、気象庁、福島県、浦安市などの各ウェブサイト