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会津若松市「若松城(鶴ヶ城)」

麒閣の歴史

二ノ丸茶屋外観

二ノ丸茶屋外観

天正19年(1591年)、茶道の大成者である千利休は、豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられました。利休の茶道が途絶えるのを惜しんだ当時の会津領主蒲生氏郷は、利休の子少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願い出ました。その結果、秀吉の怒りが解け、少庵は京都に帰って千家を再興しました。千少庵の孫により、武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興され、今日の茶道の隆盛に至りました。

少庵が、かくまわれている間、氏郷のために作ったとされているのが「麟閣」です。千家再興の地として茶人に知られ、その故をもって他の茶室にはない、三千家各家元の扁額が掲げられています。

戊辰戦争で会津藩が敗れ若松城が取り壊される際、城下の茶人森川善兵衛は貴重な茶室が失われるのを惜しみ、明治5年(1872年)5月、麟閣を自宅へ移築しました。以来森川家は120年にわたり、その保全に努められました。平成2年(2000年)、元の場所に移築され、現在は福島県の重要文化財に指定されています。

敷地内をまわってみよう

寄付

外露地に構えられる建物で、茶会に先立って客が連客と待ち合わせたり、身支度を整えて、席入りの準備をするための施設です。
(森川家から移築復元)

麟閣 寄付

腰掛待合

客が露地入りして亭主の迎えを待ったり、中立ちの際にの際に一旦路地に出て、後の席入りの合図を待つ施設です。
(森川家から移築復元)

麟閣 腰掛待合

蹲踞(つくばい)

露地にある水場のことで、手水鉢と役石などでできています。俗界の汚れを払い、清らかな心で席入りするために、手を洗い、口をすすぐためのものです。(若松城の遺構を生かしたもの)

蹲踞

躙口(にじりぐち)

この小さな扉から、「麟閣」の中に入ります。奥に見えるのが茶室です。
(森川家から移築復元)

麟閣 躙口

蒲鶴亭

麟閣とつながる形で建っています。無駄を省いた茶室麟閣とは異なり、装飾をすることが許されています。少庵が削ったという「赤松の床柱」も見ることができます。
(森川家から移築復元)

麟閣 蒲鶴亭麟閣 蒲鶴亭

お茶席

お茶席抹茶と薯藷饅頭のセット

茶室麟閣では、少庵を偲びながらのお抹茶もお楽しみいただけます。
一席500円(お菓子付き)

お茶席薯藷饅頭

茶室麟閣で茶席菓子として供されている薯藷饅頭(じょうようまんじゅう)は、小豆の皮を取り除き炊きあげた皮むき餡を丹念にすりおろした「つくねいも」と米粉の皮で包んで仕上げています。
お土産用の販売もあります。

お問い合わせ

所在地:福島県会津若松市追手町1-1 [地図]
問い合わせ:財団法人 会津若松市観光公社 TEL.0242-27-4005