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教訓の伝承

伝えていくこと“あの日の記憶” 教訓を子どもたちに残す。 (当時)宮城県 出島 女川町立女川第四小学校 今野 孝一 校長

女川町 出島(いずしま)の島民が一丸となって夜を越える

あの地震の後、急に潮が引きだしたので「これは津波が来る」と。皆さん海の人なので分かったようで、島で一番の高台にある小学校に次々と島民の方たちが集まってきました。地震が起きて1分後くらいは、まだ携帯電話が通じていましたが、その後すぐに固定電話もインターネットも携帯電話も不通になり、島民の皆さんとの孤立した時間が始まりました。偶然、3月11日の朝に“避難物資”としてペットボトル500本が小学校に届いたので、1人1本ずつ400人に配布して、さらに工事用の発電機があったのでそれで投光器を灯しました。青年団の皆さんがドラム缶で灯油を運んでくれたり、民宿のおかみさんが布団や毛布を貸してくれたり、まさに島民が一丸となって支え合う姿がそこにはありました。教職員は職員室のラジオを聴きながら交代で仮眠をとり、翌日からの動きを検討しながら朝を迎えました。

震災直後の女川第四小学校の様子

被災した出島の通信設備

校庭に書いたSOS

今、一番大事なものは何か?と考えた結果「通信手段と水だ」ということで、教頭と教務主任が朝6時過ぎから雪が積もった校庭をほうきで掃いて、白い石灰のラインマーカーで“SOS 水 むせん”と書いてくれました。たくさんの報道のヘリコプターが上空を飛んでいましたので、そこに向けてのメッセージでした。8時を過ぎた頃、地域の区長が家に緊急用の衛星携帯電話があることを思い出し、慌てて学校に届けてくれました。誰も使ったことがなく充電は切れていましたが、発電機で充電し、屋外アンテナを設置して必死で操作しました。110番、119番はつながらなかったのですが、偶然かけた118番で海上保安庁へと通じ、3時間後には自衛隊のヘリコプターが到着しました。11回も往復して、避難していた島民を全員無事に救出していただきました。持っていける荷物は1人1個ということでしたので、私は数日後に控えた卒業式で渡す予定だった卒業証書を携えて、ヘリコプターに乗り込みました。

風化させないための教育を

現在私は、仙台市の教員に研修などを行う教育センターの所長をしています。来年から、東日本大震災を体験していない子どもたちが小学校に入学してきますので、その子どもたちに命の守り方、地域とのつながり方など東日本大震災から得た教訓を教えられるような防災教育をしていくことが重要になってきます。阪神・淡路大震災での神戸の取り組みなども勉強させていただき、仙台でも東日本大震災を絶対に風化させることなく伝えていくことが私たちの使命だと考えています。大規模災害の時、通信手段は生命線になります。通信を確保するためには電気が必要になるという教訓からも、現在、仙台市内のすべての学校に発電機を2台ずつ設置しています。また、携帯電話が使えなくなることを想定して、災害用伝言ダイヤル(171)を活用した訓練なども防災教育の中では教えるようにしています。未曽有の大災害。将来に生きるカタチで記憶を語り継いでいきます。

防災教育副読本で災害用伝言ダイヤル(171)を推奨

風化させること無く、語り継ぐことが使命

防災教育の最前線

防災の力を、生きる力に
仙台市立七郷小学校 亀崎 英治 研究主任

七郷(しちごう)小学校では、防災教育を全校挙げて行っています。防災訓練は決まった型の中で行うことが一般的ですが、災害はいつでも“想定外”です。「こういう時はこう行動しましょう」という指導では命を守ることは出来ません。子どもたちが状況を見て自分で判断し、どう行動すればいいかを考える力を身につけさせる必要があるのです。そのため、災害用伝言ダイヤル(171)を使ったり、インターネットから気象情報を参照したりして、その後の行動を考える授業も行いました。東日本大震災を風化させず、防災教育を通じて生きる力そのものを身につけていく。そんな取り組みを今後も継続的に行っていく予定です。