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鍛冶研師・ヌノツクロイ 鈴木康人・智子

鈴木康人・智子

“道具”と捉えるヌノツクロイと鍛冶研師の“生活の中の布と鉄”

 阿武隈高地の山々に囲まれたいわき市南西部の遠野町は、入遠野川と上遠野川が鮫川の支流となって流れ、古くから伝わる手漉き和紙や野鍛冶(のかじ)などの伝統産業が残る山間の町で、生活を支えながら地域の環境と共に生きる「術(すべ)と業(わざ)」の継承・育成・発展のプロジェクトとして、1996年(平成8年)、「磐城 手業の会」が創られました。「磐城 手業の会」は、いわきの職人らが講師となり、「手業の継承者たち」を対象とした本格的な人材育成や、匠の手業の確かさや手作りの温もりを感じ体験しながら、山間の暮らしや自然の大切さを学ぶ体験講座を開催し、自然と人との関わりや暮らしの中の手業を伝えながら人材育成に努めています。
 アイビー・ファッションブランドVANの創始者石津謙介(いしづけんすけ)氏から弱冠23歳の若さで代官山の店を任され、その後29歳で独立後長く服作りの第一線に携わり、時代や社会に迎合するファッション業界の服作りに楽しみを見出せず、子供の頃から好きだった刃物に関わる仕事ができないかと40歳で郷里のいわきに戻り、「磐城 手業の会」で野鍛冶長谷川昭三(はせがわしょうぞう)氏に師事し、鍛冶の技術を身に付けながら研師(とぎし)の道を歩み続けるのが、今回「ふくしま人」へご登場頂いたいわき市の鈴木康人(すずきやすと)さん。そしてリネンやオーガニックコットンなどの風合いを活かし、柿渋や藍染めの天然素材で服を中心にバッグや小物を作る奥様の智子(ともこ)さん。
 お二人は2009年(平成21年)にブランド「omoto(おもと)」を立ち上げ、康人さんが作る包丁と智子さんが作る“作業着”としての服をそれぞれ“道具”として捉え、流行に合わせた使い捨てではなく、使いながら何度でも手を入れて長く使い続ける“もの作り”に拘り、鉄と服という一見関連性のないものを“道具”というキーワードで共通の意味を持たせ、その着想の斬新さと、思わず手にしたくなる手作りの“もの作り”が愛着を抱かせ、様々な雑誌に度々取り上げられ、毎年東京を中心に開かれる個展会場には、「omoto」の商品を買い求める大勢のファンが訪れます。
 「いわきに戻ってきた時に、東京でやっていた服の仕事をそのまま持ってきたわけではなく、それまでの服作りから一切離れ、自分の人生を一度切り替えようと思っていました。子供の頃から刃物が好きで、友達の家へ遊びに行く時も砥石を持って包丁を研いでいたほどで、刃物に関わる仕事ができないかと、『刃物研ぎます』と研屋の看板を知り合いに頼み、砥石3丁をホームセンターで買って始めたのが、今の仕事に繋がる取っ掛かりでした。いわきの遠野町というところで鍛冶屋、桶屋、かご屋(竹細工)、紙漉きが残っていて、皆さん高齢なので、その技術を後世に伝えようと始めた講座で鍛冶に参加し、今の師匠長谷川昭三さんに教わりながら今に至ります。」
 当時、智子さんは服飾専門学校を卒業後、地元の縫製会社に勤務し、普段仕事で使う裁ち鋏を研ぐ人を探していたところ、人を介して康人さんと出会い、共通する服作りの話題で意気投合し、康人さんは本格的な服の仕事をするには一度東京へ行くべきと勧め、智子さんは22歳で上京後、ベテランパタンナーの片腕として3年間経験を積み、大手アパレルメーカーへ転職して中間管理職的な役割を任され、本来自分が希望する作る現場から次第に離れていく状況にストレスを感じていたと話します。
 「全体をまとめる人がいなくてやらざるを得なかったのですが、沢山こなさないと“もの作り”のスキルもアップしないし、作る部門にいて自分の経験値を上げたいと思っていました。会社という枠の中で“もの作り”をしているので、自分が一体何を作りたいのか、作りたい意欲がなくなってしまい、何も考えずに会社を辞めてしまいました。自分が作りたい形がそれ程できていたわけではないのですが、性格的に会社勤めが合わず、毎年流行に合わせてシーズン毎に作って使い捨てるのではなく、途中で何度でも手を入れて直しながら、長く着続けていけるような服作りをしたいと思っていました。」
 「ファッションは『生鮮食品』だよ。その時に食べないと賞味期限が切れて誰も食べなくなってしまう。今、僕らが作っているのは『保存食』。直してどんどん景色が良くなっていくことを想定し、最初の外側を作り出したのが始まりだよね。」
 2008年(平成20年)夏、それまでお二人が作り溜めてきた作品をお客として行っていた東京のカフェで展示する機会に恵まれ、康人さんが鍛冶で作った包丁と、智子さんの藍染めのハギレを繋ぎ合わせた包丁ケース、そして長く着続けるようにと作った服などが、『生活の中の布と鉄』と題して初めて同じ空間に展示され、連日訪れる大勢の人との会話や、お二人の“もの作り”への思いや姿勢への好感を得られたことを機に、翌2009年(平成21年)、お二人はブランド「omoto(おもと)」を立ち上げます。