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酪農家 佐々木光洋

佐々木光洋

3.11後の福島へコミットしながら作る生産者と消費者とのより近い関係

 2011年(平成23年)の震災後に起こった原発事故により、今も福島県の酪農家が被り続ける被害は甚大で、原発を中心に半径20km圏内外の警戒区域や計画的避難区域の酪農家は避難を強いられ、休業や飼育牛を手放さざるを得ない状況となるなか、福島市西部の郊外に位置する比較的線量の低い佐原地区の佐々木さんらも、生乳の廃棄や自給飼料の利用制限、牛の移動制限など、経営に直結する多大な被害を被ることになりました。
 「震災があった3月11日から1週間程経った時に、まず牛乳とほうれん草から放射性物質が出たと報道がありました。自分の感覚ではもう出たのかと。いずれその日が来ても、もう少し先と思っていたので、あっという間に出たという驚きを持ったのが最初の印象でした。すぐに国や県から出荷停止の制限が掛かり、県北の福島市では毎日搾った牛乳を約1ヶ月間捨て続けることになりました。経済的な痛みは勿論ですが、牛乳を捨てるという経験をしたことが心の痛みとなり、県内の酪農家がまた牛乳から出してはいけないという気持ちを強く持ち、あの時の対応や約束事をキッチリと守ったと思います。」
 チェリノブイリ事故後の知見で一番の要因として牧草が上げられ、放射性物質が降り積もった福島県産の牧草は使用禁止の規制が掛かり、牛は搾乳を止めると乳房炎になるため、出荷できない搾乳した生乳を事故後1ヶ月間、牧草地に掘った穴に毎日捨て続けた心境を佐々木さんは話します。
 「自分が搾った牛乳を捨てることは悲しいというか悔しいというか、そういう気持ちで1ヶ月間過ごしたと思うんですけれども、友人が牧場へ遊びに来て、いきなり『大丈夫か?』と聞くんですね。『何が?』と聞くと、『表情がない』と言われ、確かに最初は悲しい悔しい怒りみたいなもので感情が昂り、それを毎日続けていく内に虚しさが心の中を支配し、虚無感が表情を失わせていたんじゃないかと、後で振り返った時にそう思いました。」
 佐々木さんは知人の北海道の酪農家から乾燥牧草を購入して対応しながら、『復興』と謳われる毎日の生活の中で、単に元に戻るのではなく、以前よりも魅力的な経営や地域となるべきだと思い、意識を共有する農家やレストランシェフらと共に、適正な検査を経た牛乳・野菜・加工品・お菓子など、福島の旬の美味しいものを詰め合わせた「シノブリ(信夫里)BOX」を発売し、また、牧場見学会を度々開催しながら生産者の想いや生産現場を知ってもらい、生産者と消費者とが「顔の見える関係」となって一緒に学ぶ「食育」を通し、現在の福島だからこそ可能な「地域支援型農業CSA※」の温かい繋がりをカタチにしたいと話します。
 「こういう時期ですので、福島県産を積極的に買う雰囲気ではないと思っていましたが、昔からの仲間の他にも、福島を応援したいという方や純粋に美味しいから買いたいという新しいお客様が居ることが励みになり、売る過程での新しい科学反応が楽しみで刺激にもなります。同時にこれは震災の有無に関わらず、生産する側はもっと情報を出していく必要性が有り、消費者は実際の生産現場を見て、もっと互いに近い関係で『食』を捉える必要が有ったと思います。チェリノブイリ事故後のヨーロッパの混乱を著した『食卓に上がった放射能』という本の最後に、『環境に重大なことが起きた後だったからこそ、生産者と消費者とが同じテーブルで、よりよい形・食をより近い関係で語り合えた』とあり、それが「シノブリBOX」や牧場見学会の考え方の根底になっています。」
 佐々木さんは牛乳を生産する個人(家族)だけの完結で終わらず、人と関わることで新しいアイディアが生まれることに可能性を見出しながら、福島盆地という平均的な市民の生活圏の中で、生産者と消費者とがより近い関係性を構築し、これまで通りの一次産業の在り方ではなく、人と関わり、人を巻き込み、福島を考え、福島を感じながらいきたいと結びました。

※地域支援型農業CSA(Community Supported Agriculture.):物流によるCO2排出量を減らす環境問題の視点と、地元で収穫する新鮮で美味しい食物を地元で消費する地産地消の考えから、家庭や法人などの消費者が地域のCSAに加入し、生産期に入る前に商品代金をCSAに支払うことで、生産者はシーズン前に必要なコストを補うことができ、消費者が地元の生産者を支える仕組み。CSAは元々1960年代に日本で始まった生産者と消費者による営農形態「提携(TEIKEI)」が欧米で取入れられ、1990年代からアメリカで本格的に始まったムーブメント。

取材後記

今回、「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、福島市の酪農家、佐々木光洋(ささきみつひろ)さん。2011年(平成23年)の震災後に起こった原発事故で被った福島県の酪農家の被害は甚大で、また、酪農家の放射能対策への迅速な対応には目を見張るものがありました。渦中に居た当時の心境や、人と関わり、人を巻き込みながら、生産者と消費者とが「顔の見える関係」となって一緒に学ぶ「食育」を通し、新しいアイディアや可能性を見出しながら、新しい福島へ繋がる機会作りにコミットする想いをお聞きしました。
◎ささき牛乳:http://www.moo23.com
◎佐々木光洋Facebook:https://www.facebook.com/mitsuhiro.sasaki.52