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現代美術家 山本伸樹

山本伸樹

現代美術家を惹(ひ)く石炭で湧いた街の風土と芸術への親和性

 福島県浜通りのいわき市から茨城県北部の丘陵地帯に存在した常磐炭田。いわき市は常磐炭田の中心地として、様々な職業人が出入りする自由で寛容な空気が流れる土地柄で、炭鉱を題材・舞台とした絵画や映画、小説などの作品が数多く生まれ、多くの芸術家がいわき市を訪れました。また、比較的首都圏にも近く、寒暖の差が少なく過ごしやすい気候に恵まれることもあり、いわき市へ移住して制作活動の拠点にする美術家も居り、作家同士の連携や、作家を後押しする展覧会や講演会の企画などで美術に対する市民の関心が高く、1976年(昭和51年)には、全国にも珍しい市民による美術振興推進団体「いわき市民ギャラリー」が設立され、いわき市立美術館建設運動を中心に、「ヘンリー・ムーア展」や「ロダン展」の開催、講演会や実技セミナー、スケッチ大会などの活動が市民に大きな感動を与え、1984年(昭和59年)、市民が建てた美術館と言っても過言ではない、戦後世界の現代美術と縁の作家をテーマにした「いわき市立美術館」がオープンしました。
 1990年代に入り、団体としての活動から作家個々の活動へ移行する中、30代を中心とした若手作家らによる野外美術展の開催、また、1990年代後半から国道289号線沿いの山間部田人町(たびとまち)へ移住した作家による「アートミーティング『田人の森に遊ぶ』」も開催され、いわき市の作家は勿論、東京や海外からの作家も参加し、一地方の山間部にあって地域住民も関わる国際的な交流展に発展しました。
 今回「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、1990年代後半、東京からいわき市の田人町へ制作拠点を移し、「アートミーティング」の中心的存在として創作活動を続ける現代美術家、山本伸樹(やまもとのぶき)さん。山本さんは、いわき市泉町で生まれて小学生まで暮らし、その後福島市へ移って高校を卒業後、東京芸術大学絵画科油画へ入学、同大学院修了後、約20年間東京を拠点に活動してきました。初めにいわき市の山間部田人町へ制作拠点を移された経緯からお話しをお聞きしました。
 「東京でいろいろな展覧会に出品したり、時々メディアに作品を取り上げて貰ってきましたが、理想的な状態で作品を発表し続けてきたとはいえず、まず自分の制作環境を整えたいと思っていました。都会は地方と比べると家賃がとても高く、郊外のスペースを共同でアトリエとして借りていましたが、東京に居ると飲んでお金を浪費することにウェイトが掛かり、正直とても無駄なことをしていると思っていました。当時、野外で展覧会をしたり、檜枝岐のパフォーマンスフェスティバルや、東京以外の自然の中での美術展に参加するようになり、いろいろな作家と関わる中で、田舎に拠点を置いていい仕事をしている人達と出会うようになり、そんな生活スタイルを模索しながら、情報があると様子を見に行くことをやっていく中で、田人町の存在を知りました。」
 釣りやサーフィン、スキーと多趣味な山本さんにとって、住まいの隣りを流れる四時川の支流でヤマメやイワナが釣れ、車ですぐに海へ出ることも出来、2時間程でスキー場へも行ける田人町の環境は、実際に来てみると思っていた以上に素晴らしい所だったと話します。
 「田人町に住んで面白いことがありました。僕が田人町に来る切っ掛けとなったいわき市在住の現代美術家 吉田重信さんから、いわき市の情報や案内をよくして頂き、僕も田人町の良さを発見して移り住むようになりましたが、これは偶然なんですが、大学時代に波乗り同好会で後輩にあたる安藤栄作さんと奥様になられた長谷川浩子さんと一瞬だけ知り合いになり、その安藤さんらも僕より大分前にいわき市に来ていて、僕が田人町に住む頃に安藤さんらも田人町に住むことになっていました。僕が田人町に移り住んで2〜3年過ぎて落ち着いてきた頃、僕と安藤さんやいわき市で活躍されてきた吉田さんらが中心となり、いろいろなものが自然に集まって最初のアートミーティング『田人の森に遊ぶ』が2001年(平成13年)に始まりました。」
 山本さんらが中心となって始まったアートミーティング『田人の森に遊ぶ』は、田人町の森の光や音、匂い、風などを感じながらイメージを膨らませ、いろいろな森のハプニングも材料にして作品を作り展示するもので、2011年(平成23年)の震災と原発事故を経て、この夏4年振りに新たなアートミーティングを開催した心境を引き続きお聞きしました。