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劇団主宰有機農家 大河原伸

大河原伸

有機農家の劇団「赤いトマト」が育む子供達の情操

 福島県東部を縦貫する阿武隈山系の最高峰、標高1192.5メートルの大滝根山。その東側の麓に位置する田村市は、約1200年前の平安時代の武将、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の伝説に満ちています。なかでも征夷大将軍として東征の折り、大滝根山の岩谷にこもって悪行を重ねる鬼との戦いで、傷を負った家臣を「船」に乗せて「引」いた故事から引用したと伝わる船引町(ふねひきまち)には、田村麻呂に由来する国指定重要文化財の古社や様々な伝説が伝承されています。
 今回「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、地域に残る伝承や日常生活のなかにテーマを求めて物語を作り、自分達で作った人形を操りながら、ご夫妻で人形劇を続けてこられた大河原伸(おおかわらしん)さん。大河原さんは30年程前から船引町で有機農業を営みながら、奥様の多津子さんと結婚して間もない1985年(昭和60年)に劇団「赤いトマト」を設立し、初めは親戚の祝事や友人の間で披露しながら、次第に保育所や小学校などから声が掛かるようになり、以来農閑期を利用して主に福島県内を中心に各地の保育所や幼稚園、小学校、婦人会、老人クラブなどを回る公演を重ね、その回数は1600回以上を数えます。
 高度経済成長期の最中、農業の生産性を上げるための農薬や化学肥料を使用する近代化農業が推進される1980年代当時、農業で生きることを選択した大河原さんが、県内ではまだ一般的に認知されていない有機農業を始めた経緯から、まずお話しをお聞きしました。
 「葉たばこ作りを5年程やっていた26歳の時、どうも農業が嫌になり、別の仕事を考えたりいろいろと試行錯誤をしていました。結局農業を続けるんですが、人がずっと生きてこられたのは水や空気や食べ物があったからで、一度農業をやめようと思ったことで、より農業について深く考え、やっぱり続けていこうと決心しました。葉たばこ作りは、殺虫剤や殺菌剤、ホルモン剤などの農薬を沢山散布しますが、散布した後の集まりで飲んだお酒で変な酔い方をしたり、友人が農薬中毒で病院へ運ばれたり、農薬に関する事故が毎年のようにありました。20歳の頃、有吉佐和子の『複合汚染』を読み、農薬や科学肥料が将来色々なところへ影響が出てくることは知っていたので、農業を続けるなら農薬や科学肥料を使わない農業をやろう思いました。」
 当時、大河原さんは、船引町で10年程前から有機農業を始めた方を訪ね、1年程手伝いながら有機農業を学び、本格的に有機栽培による野菜作りを始めます。有機農業の生産者にとって、有機農業に理解と関心を持つ消費者との販路を得ることは不可欠で、安定した販路を確保するまでのご苦労を大河原さんは話します。
 「有機農業という言葉さえポピュラーな頃ではなく、有機野菜を作ってはみても売れる場所がなく、知り合いの朝市があると持って行っては売れずに持って帰ることを大分経験しました。自分が作った野菜を理解して食べてくれる人から紹介して貰い、2〜3年かけて郡山市内に25〜6軒のお客様ができ、その後5年程でしっかりとした生産が出来るようになり、お客様も増えて自分達の野菜や卵を食べる会『麦の会』を作って頂きました。」
 有機農業に本格的に取り組みながら、以前から興味を持っていた劇団の実行委員の一人として活動していた大河原さんは、その劇団の知人から有機農業を一緒にやれる人を探していた多津子さんを紹介されて結婚し、飯舘村で開かれた劇団「黒テント」のワークショップへご夫妻で参加したことが切っ掛けとなり、多津子さんが大学の頃にやっていた人形劇を始めることになります。お二人で有機農業に取り組みながら、人形劇を続けてこられたお話しを引き続きお聞きしました。