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建築家 遠藤知世吉

遠藤知世吉

不器用という武器で建築から提案する新しい“うつくしま”と誇り

 約30年の建築設計の仕事に携わってきた遠藤さんが、2011年3月の震災とその後の原発事故を経験し、その後の状況を今振り返ると、設計者の無力感を痛切に感じたと話します。日々PCに向かって図面を書いていても、目の前の状況を何も打開出来ない現実を目の当たりにした時、これまでの時間は何だったのかと気付くことからの出発だったと話します。
 「進行中だったプロジェクトは殆ど中止になり、自分が出来ることは何でもやろうと、被災地での被災建築相談や仮設住宅の提案、サポートセンターの提案などを行いましたが、それはプロジェクトが中止になった側面があったからで、無力感の中で始めた提案でしたが、やはり設計者一人では何も出来ず、建築に携わる者同士が手を結んだ集団であれば、これからの福島の復興の力になれると思いました。」
 原発事故翌年の3月、遠藤さんは「第3種放射線取扱主任者」の資格を取得し、遠藤さんらが中心となって福島県内の工務店や材木店、建材店など25社が参加した「ふくしま建築集団」を立ち上げます。この災禍にあって建築の専門家として受身であってはならないと、地域と寄り添う活動で福島復興の力になることはもとより、復興後の生き残りを賭けた具体的な提案を遠藤さんらは提示します。
 「避難地域ではなくても、放射線の影響で生活に束縛を感じている地域を念頭に、放射性物質や放射線への対策を施した、自由に楽しく住みながら豊かな生活空間を得る放射能対策住宅、“ふくは家(うち)”を設計しました。また、設計・施工者で放射線測定をしながら、福島の大地で育った杉材を多用し、福島らしい木構造の内外真壁(しんかべ)造りを採用した、地域の大工さんにも建築可能な復興住宅、“真壁の家”の提案も行っています。」
 “ふくは家”や“真壁の家”の提案は、地域性があまり見られなくなってしまった地方の街並みの状況に於いて、今の災禍からの福島復興の過程で、他県と同じ街並を造ることではなく、震災と原発事故を経験した福島だからこそ、福島の風土と地域性を活かし、木の温かさと優しさに包まれた、特色のある福島らしい呼吸する木構造の街並を創ることで、ハンデを抱えた福島がようやく互角に他県と競い合うことが出来ると遠藤さんは話します。
 好むと好まざると汚されてしまった福島のブランドは、マイナスイメージで世界中に有名となり、本来持っていた福島の良い地域イメージを、建築を通して新しい街並に現すことで創り出し、人の心にまた誇りを取り戻すことが、福島で建築設計に携わる者の使命と責任だと、福島人らしい語り口で遠藤さんは結びました。

取材後記

今回、「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、奥羽野武士建築家の遠藤知世吉さん。敢えて“奥羽野武士”と自認する理由は、お話しをお聞きするにつれて納得。人と異なる生き方を逆に自分の強みとして戦う様は、確かに野武士たる所以。勝負の決め手は、これまでの実績でと自信を覗かせていました。
◎遠藤知世吉建築設計工房:http://www.ht-net21.ne.jp/~eca21/
◎福島建築集団:http://www12.plala.or.jp/fat/