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ゼリーパテシエ 杉山修一

杉山修一

ゼリーに溶けた母の愛情とゼリーにリンクした想い出を継いで

 いわき市の小名浜港に近い住宅街の一画。ここに1988年、住宅の庭先を店舗にして開店した手作りのゼリー専門店「ゼリーのイエ」は、毎朝、開店時間の午前9時ともなるとお客様が訪れ、午後1時過ぎにはほぼ売り切れて閉店となる、小名浜でも有名な人気店です。
 今から30年程前、ここで「ゼリーのイエ」を始められたのがこの家の主婦、杉山洋子さん。洋子さんは骨折をして入院していたある夏、「のどごしが良く、栄養のある涼やかな冷菓を」と、お母様が手作りして差し入れてくれた、ミルクとオレンジが二層になった、キラキラと輝くゼリーの美しさと味に感動し、退院後ゼリー作りに没頭しました。当時、料理好きの洋子さんが「いつか食べ物屋さんを始めたい」とご主人と話しをされていた頃で、たまたま骨折を切っ掛けにお母様の手作りゼリーに出会い、それに魅了された洋子さんのスイッチが入りました。
 ゼリーの中に材料の違うキューブ状の小さくカットしたゼリーを加えたり、ムースや生クリームを入れたりと試行錯誤を繰り返し、出来上がるとその都度ご家族の皆さんに試食をしてもらい、ご近所にもしばしば配られました。この時よく試食をされていたのが、今回「ふくしま人」にご登場を頂いた「ゼリーのイエ」のゼリーパテシエ、杉山修一さん。結婚を機に2002年からお店に入られた修一さんに、当時の様子やゼリー作りを継がれた経緯からお話しをお聞きしました。
 「母が試行錯誤を繰り返しながらゼリーのお菓子を作り始めて、最初は玄関先で近所の方々に販売を始めました。それが口コミで知られるようになり、2〜3年後の1988年に、庭先の現在の場所にお店を開店しました。結婚を機にお店を手伝うようになりましたが、朝も早く、手間ばかり掛かって体力的にも厳しいことから、母は初め継いで欲しいとは言いませんでした。お店に入る前は、地元の広告会社でホームページやデザインなどの仕事をしていましたが、それまでのスキルがお店の力になれると思い、店頭売りだけだった販路をインターネットにも拡げ、口コミでご近所だけだったお客様が、全国にも広がるようになりました。」
 季節によって異なるものの、洋子さんとお手伝いの方と、そして修一さんと奥様の裕美子さんの4人で、一日で作ることが出来るゼリーの総数は平均500〜600個。その約7割が店頭販売され、残り約3割がネット販売に充てられます。ネット販売の約4割が東京、次いで福島県内、仙台、大阪・京都の関西と並びます。
 「最初は全く駄目でしたが、次第にネットを見て頂いて口コミで拡がるようになり、更にいろいろなメディアで取り上げて頂くようになって、一番遠くは沖縄県からもご注文を頂くようになりました。ただ作る人数が4人で、作れる量にも限りがあり、商品の品質を落とさないためにも、今の作り方を維持して行こうと思っています。」
 敢えて長く勤めた会社を辞め、ゼリー作りを継ぐことを決めた背景には、洋子さんが作るゼリーと共に修一さん自身が成長し、それぞれのゼリーの味に、それぞれの思い出が重なり、様々な工夫を凝らして、洋子さんが手塩に掛けて作り上げてきたゼリーを守りたい思いのことを、外から眺める時間があって、やっと気付いたことと修一さんは話します。