支店ホーム > ふらっとおでかけ 福島ぶらり > 南会津町「大桃の舞台」


南会津町「大桃の舞台」

大桃の舞台大桃の舞台

 江戸時代の幕府直轄地「南山御蔵入(みなみやまおくらいり)」だった南会津地方では、今も残る檜枝岐歌舞伎や田島祇園祭の子供歌舞伎など、当時から農民による農村歌舞伎が盛んで、明治時代の記録には、福島県内の歌舞伎舞台が47ヶ所、歌舞伎一座は52ヶ所とあり、そのうち南会津地方に歌舞伎舞台37ヶ所、一座35ヶ所と集中し、南会津の各地区では競い合うように歌舞伎が演じられていました。
 日本の歌舞伎が踊りと狂言を演じ、男性が女性に扮する女形が生まれたのは1652年(承応1年)頃の「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」からといわれ、幕藩体制が安定し、町人の台頭が目覚ましくなってきた元禄時代(1688年〜)には、民衆の演劇として歌舞伎が発達しました。江戸や上方には常設の芝居小屋が生まれ、地方回りの一座も現れるようになり、1800年代には地方でも農民らが自ら演じるようになりました。
 三重の伊勢参りの帰りに江戸で観た歌舞伎に触発され、見よう見まねで始められたといわれる南会津の農村歌舞伎は、旧南郷村の角田藤左衛門(つのだとうざえもん)が記した「萬事覚書帳(よろずごとおぼえがきちょう)」によると、1688年(元禄元年)に南郷村山口、伊南村青柳で狂言が演じられたとされており、文化・文政年間(1804〜1823年)には、京都から衣装を買い集め、小道具と共に貸し出すところもあったと記されています。
 南会津の歌舞伎には、伊南地区の青柳座、舘岩地区の山口座、片貝座、福市座、塩ノ原座、只見町の朝日座、田島地区の藤生座、長野歌舞伎などの一座が有り、1965年頃(昭和30年代)まで続けられ、今も続いているのは檜枝岐村の千葉之家花駒座と田島祇園祭の子供歌舞伎だけとなりました。また、現存する歌舞伎舞台も国の重要有形民俗文化財に指定された檜枝岐村と大桃地区の舞台、そして舘岩地区湯ノ花の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)境内に残る舞台のみとなっています。
 歌舞伎が一端途絶えてしまった大桃地区では、地域の貴重な宝「大桃の舞台」を地域おこしに活用しようと、2007年(平成19年)から「大桃夢舞台」が開催され、田島町の「祇園祭子供歌舞伎」をはじめ、これまでに旧伊南村の「小塩の神楽」や「青柳の笠踊り」、旧舘岩村の「水引十人芸」、旧南郷村の「南郷の早乙女踊り」などが演じられ、普段は静かな山間の大桃地区にも、年に一度の「夢舞台」に近隣の住人や農村歌舞伎を愛する人達が集い、鬱蒼とした大桃の舞台を囲む木々の間に歓声が上ります。

南会津町大桃地区南会津町大桃地区

 檜枝岐村に程近く、伊南川に沿って沼田街道(国道352号線)が通るこの大桃地区をはじめ、南会津には江戸時代から地区ごとの農民歌舞伎の一座があり、多くの舞台が存在しました。現在も残っているのは檜枝岐村と大桃地区のふたつの舞台のみで、それぞれ国の重要有形民俗文化財に指定されています。

南会津町田島子供歌舞伎南会津町田島子供歌舞伎

 820余年の伝統を誇る国指定重要無形民俗文化財「会津田島祇園祭」では、江戸時代末から明治初期の「学制」制定まで屋台上で子供歌舞伎が上演され、その後地元青年会により1950年(昭和25年)から10年程続けられたあと途絶え、その希少性から1994年(平成6年)に約120年振りに正式に復活しました。2007年(平成19年)から始まった「大桃の舞台」を活用した地域おこし「大桃夢舞台」で上演されるようになりました。

観 客観 客

 地域の貴重な宝「大桃の舞台」で年に一度開催される「大桃夢舞台」では、これまで旧伊南村の「小塩の神楽」や「青柳の笠踊り」、旧舘岩村の「水引十人芸」、旧南郷村の「南郷の早乙女踊り」、田島町の「祇園祭子供歌舞伎」などが上演されてきました。普段は静かな大桃地区もこの日は地域の住民が朝から準備に追われ、暑さがひと段落した午後3時頃から徐々にお客さんが集まり、賑わいを見せ、“地域の宝”を持ち寄った「夢舞台」が繰り広げられます。

お問い合わせ

◎南会津町役場
住所:〒967-0004 福島県南会津郡南会津町田島字後原甲3531番地1
電話:0241-62-6100
http://www.minamiaizu.org/kanko/新規ウィンドウで開く
◎南会津町観光物産協会
住所:〒967-0006 福島県南会津郡南会津町永田字枇杷影2
電話:0241-62-3000 FAX:0241-62-2910
http://www.kanko-aizu.com/01/detail-1-0-3-0-38.html新規ウィンドウで開く