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郡山市 郡山市開成館

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開成山大神宮

開成山大神宮の写真鳥居前には国道49号が通り市街地となっているが、本殿造営以前は「離れ森」と呼ばれていた

 明治9年(1876年)9月18日に伊勢神宮より天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御分霊が奉遷され、社号を「開成山大神宮」として創建されました。以来、安積開拓の守護として篤い尊崇をあつめています。
 皇室の祖先神である伊勢神宮の、御分霊がまつられることは異例のことですが、入植開拓者たちからの熱い願いが政府を動かし、最終的には当時の太政大臣・三条実美の決裁で許可されたとのことです。
 この時、伊勢神宮の御分霊にあたっては、伊勢神宮の大宮司が伊勢から東京まで捧持し、東京からは伊勢神宮の神官・楽師・舞女らと一緒に郡山に入り、奉遷の儀式が執り行われたことなどが記録に残されています。現在、宝物殿には奉遷の際に伊勢神宮より撤下(下げ渡された)された太刀や槍、さらに奉遷九十年祭に撤下された神鏡・太刀・鉾・櫛司などが納められています。その中で、奉遷の時に撤下された太刀と槍は、郡山市指定重要文化財になっています。
 現在の本殿は、奉遷して100年を迎える昭和50年(1975年)に、伊勢神宮より下げ受けた「御用材」(式年遷宮の際に解体された旧社殿に使われていた用材)により造営され、拝殿は平成3年(1991年)に青森ヒバで建て替えられています。明治8年造営の本殿は瑞垣(みずがき)の南に「桑野宮(くわののみや)」としてまつられています。
 創建後、明治9年に東北行幸が行われた際には、明治天皇が御親拝されました。明治12年(1879年)安積疎水の起工式、明治15年(1882年)の通水式、明治16年(1883年)の疎水成業報告祭が行われた際には、明治政府高官の伊藤博文・松方正義・岩倉具視・西郷従道などの名前が、斎主または参列者として記されています。安積開拓・安積疎水事業とのつながりの強さを示しています。


中條政恒碑の写真中條政恒碑

阿部茂兵衛の写真阿部茂兵衛

顕彰碑の写真顕彰碑

顕彰碑ふるさとの石の写真安積野開拓顕彰碑の礎石に積まれた
9つの旧藩のふるさとの石

二本松藩士入植地の碑の写真二本松藩士入植地の碑

 境内には、当時の県の管理職として安積開墾事業のスタートに情熱を注いだ中條政恒、中條の熱意あふれる説得により「開成社」をおこし尽力した地元の富商・阿部茂兵衛、開墾のために入植した旧藩の方々を称える顕彰碑や像、二本松藩士入植地の碑などが置かれています。
 開拓の功労者・中條政恒の孫であるのが、郡山市ゆかりの小説家・宮本百合子です。作品「貧しき人々の群れ」では大正時代にさしかかったころの桑野村を描いています。

お問い合わせ

開成山大神宮
住所:福島県郡山市市開成三丁目1-38【地図
電話:024-932-1521

こおりやま文学の森(郡山市文学資料館 郡山市久米正雄記念館)
住所:福島県郡山市市豊田町3-5【地図
電話:024-991-7610
こおりやま文学の森ホームページ