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会津若松市 新島八重を育んだ会津

「山本八重・覚馬生誕の地」碑

 会津鶴ヶ城の西出丸を囲む大きなお堀があり、天守閣を間近に望む、藩校「日新館」があった場所からすぐ近くの住宅地に、山本覚馬・八重が生まれた屋敷がこの近辺だったことを伝え残す碑が置かれています。(一般の方のご自宅の一部にご厚意により設置)
 城下の区割りによればこのあたりは中級の藩士の邸が多く置かれたとされています。
 八重は、すぐ裏に住む「日向ユキ」と一緒に、近所の高木家へ(「高木時尾」の母)裁縫を習いに通ったそうです。父・権八(山本家に養子入りし、母・佐久と結婚)の実家である永岡家は、山本家の斜め前にあったと伝えられます。会津藩士やその子弟・子女が、そのころ毎日を過ごし、通り歩き、育まれた一画です。
 会津松平家は松平容保が治める九代目となり初代松平(保科)正之が寛文8年(1668年)に著わした『会津家訓十五箇条』(あいづかきんじゅうごかじょう)を従い伝えて200年になろうとしていました。その書の第一条には「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記されています。歴史が大きく方向転換するとともに、それぞれの人生が別々の歩みを始める時が迫っていたころです。
 2013年はNHK大河ドラマ「八重の桜」で取り上げられ、情報や資料が豊富に入手できますので、人名や出来事を調べ、会津をめぐる好機ではないでしょうか。

「山本覚馬・新島八重生誕の地」の碑の写真碑は主のご厚意により置かれました めぐる際にはご配慮を

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■住所:会津若松市米代2丁目【地図

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会津若松市馬場町1-18 チャレンジショップYui結 2階
会津若松市「八重の桜」プロジェクト協議会
電話:0242-23-8864

日新館天文台跡

日新館天文台跡の写真総合的な学校であった日新館では、天文学も学習していた

 日新館は、松平(保科)家五代藩主・容頌(かたのぶ)の代に約5年をかけて完成(1803年または1804年)したという文武の両面を指導する総合的な学校でした。現在残っているのは「天文台跡」のみです。藩政の改革のために家老・田中玄宰(たなかはるなか)が教育の振興を進言したことによりつくられたとのことです。その時代は、天明の大飢饉が1782年(天明2)から数年続いたあと10数年を経たばかりのころでした。
 1664年・寛文4年に遡れば会津には、「稽古堂」という、日本で初めての庶民のための学問所が創設されています。教育への意識が高い藩だったと思われます。
天文台跡の北側の辺りには「梶原平馬」(鶴ヶ城に籠城した時の家老)の邸があったと伝えられます。

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宝雲山大龍寺(ほううんざんだいりゅうじ)

宝雲山 大龍寺(ほううんざん だいりゅうじ)本堂の写真葵の紋が施された破風(はふ)の本堂

 山本家の菩提寺であるこの寺は、礼儀作法の流派である小笠原流の祖・小笠原長時の墓所となった「桂山寺」を起源とするといわれています。その後、1643年(寛永20)に会津松平家の初代となる保科正之が会津に移封された時、正之に従って「機外禅師」が移り当時、無住だった桂山寺のこの地を拝領して、開山したという臨済宗妙心寺派の寺院です。
 山本家は八重の高祖父(曽祖父の父)の代から大龍寺を菩提寺としていました(寺に残る過去帳・1804年から1817年(文化年間)による)。

宝雲山大龍寺の扁額の写真丸いとつ状の扁額は、太い幹の
外周の一部が使われている

宝雲山 大龍寺(ほううんざん だいりゅうじ)の石段の写真寺院は広く市街地を見下ろす
慶山地区の高台にある

 寺は、戊辰戦争の際には戦火をまぬかれ新政府側の野戦病院として使われました。境内には他にも会津藩士族の墓がたくさんあり、「戊辰戦争殉難殉節供養の碑」があります。

山本家墓所

宝雲山大龍寺にある山本家の墓所の写真点在していた山本家の墓を菩提寺に集め、
墓標には八重が筆を執った

 八重は1931年(昭和6年)それまで点在していた山本家の墓を菩提寺であるここ大龍寺に集めました。八重の高祖父、戊辰戦争で戦死した弟・三郎など6人が眠り、墓標の表の文字は八重の自筆といわれます。亡くなる年(1932年・昭和7年6月14日)の前年のことでした。
 八重自身は京都府若王子(にゃくおうじ)の同志社墓地に新島襄に隣り合って埋葬されています。新島襄とともに同志社を創設した、兄・覚馬はもちろん、多くの貢献をした母・佐久も同じ同志社の墓地に眠ります。

>>若松城(鶴ヶ城)2011年10月

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