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大学教授 三浦尚之

三浦尚之

日本の才能をニューヨークから世界へプロモートする音楽家のロマン

 米国公認の公益法人ミュージック・フロム・ジャパン(MFJ)は、日本の優れた作曲者や演奏者の現代音楽を紹介することを目的に、1975年(昭和50年)ニューヨークで設立されました。カーネギーホールやニューヨーク・シティ・オペラ、リンカーン・センターなどをはじめ、首都ワシントンDCのケネディ・センター、スミソニアン・フリーア美術館などで、コンサートやレクチャー・デモンストレーション、シンポジウムなどを毎年開催。日米両国の新進作曲家や演奏家を起用したユニークな文化交流事業として当初から注目され、これまでに日本の現代音楽や伝統曲、日本人作曲家(170名※)、外国人(25名※)による400曲以上がアメリカを中心に紹介されてきました。(※2014年6月現在)
 MFJが紹介してきた作品の多くは、アメリカ国内の主要演奏団体のレパートリー曲として繰り返し演奏され、それを切っ掛けに海外ではあまり知られていない日本人新進作曲家の委嘱(いしょく)作品初演コンサートや、アメリカ人作曲家による邦楽器のための作品も積極的に発表されました。また、武満徹や三善晃、松村禎三、一柳慧(いちやなぎとし)、池辺晋一郎など、MFJによってアメリカを中心に紹介されることにより、日本国内の新進気鋭の作曲家らが世界でも高く評価され、活躍するようになりました。
 今回「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、福島市の三浦尚之(みうらなおゆき)さん。東京芸術大学音楽学部でコントラバスを専攻し、卒業後に日本フィルハーモニー交響楽団へ入団。その後フルブライト奨学生として渡米。ニューヨーク市マンハッタン音楽大学修士課程、ジュリアード音楽院博士課程に学び、アメリカン交響楽団正団員として活躍しながら、1975年にニューヨークでMFJを創設。精力的に日本の現代・邦楽音楽と新進の作曲家や演奏者らをニューヨークを中心に世界へ積極的に紹介。1986年(昭和61年)福島学院短期大学(現福島学院大学)教授に就任し、その後、副学長、学長を勤め、引き続き教授として教鞭を執りながら、今年創立40周年を迎えたMFJの理事長、芸術監督として活動を続けられています。
 「私は福島駅から5分もかからない栄町で生まれ育ち、中学校を卒業した後に、東京芸術大学の附属高校が数年前にできたということでそこへ入りました。元々私の実家はお店を経営していたのですが、そこの長男として引き続き商売をするよりも、音楽という道に行った方がいいのではという動機があり、高校から東京へ行きました。中学時代に福島で有名だったオーケストラがあり、元々子供の頃からバイオリンを演っていて、『バイオリンはもういっぱいで、残っているのはチェロとコントラバス。君は男だし、小さいけどこれから大きくなるからコントラバスを弾いたら』と担当の先生から言われ、その気になってコントラバスをやりだしたわけです。でも、ちっとも大きくならず、今考えると、もし自分がホントに大きい身体で身長も高く、指も大きくてコントラバスを弾くに適していたら現在はないと思います。小さいからこそ努力をしないと一流にはなれないという気概がいつもあり、そういう点では努力の成果だと思いますが、いろいろな価値観があり、もしかしたら親の後を継いで商売をやっていたら別の人生があったんじゃないかと、それもまたひとつの人生観ではと思います。」
 三浦さんがコントラバスを始めた中学時代に、地元福島ではコントラバスを教える先生がいなかったことから、金曜日の夜行列車に乗って翌朝上野駅に着き、その足でコントラバスを教える先生の下で午前と午後、翌日曜日の午前中もレッスンを受け、その日の内に福島へ戻ることを毎週続けていました。
 「苦労をしたけれども、今振り返るといい時間だった」と話し、その後、東京芸術大学附属高校から試験を経て東京芸術大学音楽学部(器楽科コントラバス専攻)へ入学します。
 「附属高校からといってスムーズにパスするわけではなくて、同期生で40人位いた内の4人位は落ちました。大学で4年間勉強し、卒業後すぐに東京文化会館小ホールでコントラバスのリサイタルを開催しました。当時コントラバスのリサイタルというのは珍しく、日本では歴史上二人目でしたが、福島の皆さんのお陰で沢山のお客様に恵まれました。その後、小澤征爾さんや渡邉曉雄(わたなべあけお)さんらが指揮をしていた日本フィルハーモニー交響楽団へ入ってコントラバス・セクションの副主席として務め、日本フィルハーモニーとはドラゴネッティ作曲のコントラバス協奏曲を共演しました。オーケストラでコントラバスの協奏曲を演奏したのは、日本のコントラバス奏者としては歴史上初めてでした。」
 コントラバスをソロ楽器として認識させることに貢献したイタリアのコントラバス奏者、作曲家のドメニコ・ドラゴネッティ(1763〜1846)のコントラバス協奏曲を日本で初めてオーケストラと共演したキャリアを捨て、三浦さんは1966年(昭和41年)、全く知らないニューヨークへ単身で渡ることになります。ニューヨークへ渡ってからの演奏家としての活動と、ニューヨークで創設したMFJについて引き続きお聞きしました。