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伝統こけし制作工房三代目 佐藤英之

佐藤英之

“時間・手間・工人の思い”を込めて家族で継ぐ伝統こけし

 宮城県白石市にある通称「こけし神社」と呼ばれる惟喬親王神社(これたかしんのうじんじゃ)は、木地師の始祖とされる小野宮惟喬親王(おののみやこれたかしんのう)※を祀り、新年を迎えた1月2日、古式ゆかしい烏帽子装束に身を固めた奉納工人によって山の神神社に参拝して身を清めた後、「こけし神輿」を従えて練り歩き、参拝を済ませて拝殿前に仮設したロクロに向かい、一年の健全な制作活動を祈願して「こけし初挽き」が披露され、出来上がったこけしを「こけし神社」へ奉納します。「こけし神社」のある弥治郎集落は、不忘山(ふぼうさん)の裾野の谷間に抱かれた江戸時代初期から続く小さな木地師の集落で、宮城県内に伝承される鳴子系、作並系、遠刈田(とおがった)系と並び、弥治郎系と呼ばれる伝統こけしの産地として知られています。
 今回「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、2010年(平成22年)の「初挽き」奉納工人に選ばれ、いわき市で弥治郎系伝統こけしを伝承する「木地処さとう」3代目の佐藤英之さん。初代の誠さん(英之さんの祖父)は、弱冠9才で隣村から弥治郎村のこけし工人小倉家へ奉公に出て、後に石炭で活気に沸くいわき市で1926年(昭和元年・大正15年)に佐藤木工所を設立。以来約90年に渡って、2代目の父・誠孝さん、母・美喜子さん、そして弟・裕介さんのご家族全員で弥治郎系伝統こけしを伝承しています。
 「私は24歳の時にこけしを作り始めましたが、それまでの9年間は、高校・大学・就職と家を出て関西で過ごしていました。大学1年の時に叔父が他界し、叔父は作家でしたが、『父のこけし』という本を書き遺していました。そこには祖父から父へこけし作りが受け継がれることが書かれてあり、初めて読んだ大学1年の時に、私もその流れの中で生きている人間なんだと少し意識をしました。」
 営業職として関西の専門商社へ就職し、時折帰省して見る父・誠孝さんのこけしを作る姿は、子供の頃に見えていたものとは全く異なり、とても新鮮に見えるようになったと英之さんは話し、約2年間の就職期間を経ていわき市へUターンし、子供の頃にはあたり前に見えていたこけし作りを始めた当時を振り返ります。
 「営業職だった私には、“作る”という仕事は大きなギャップがありました。小さな頃からこけしを作る父の姿は見てきましたが、自分で作るとなるとそれは全く別のことで、年数を重ねることで見えなかったものが見えてきて、ひとつ作るにも四苦八苦していたものが段々と自然に作れるようになり、仕事として成立するには7〜8年の期間が必要でした。そして今12年目に入り、父がよく10年は修行の期間と言っていた意味がようやく分かり、それは過ぎてみなければ分からないことと、今はそう思います。」
 英之さんが13歳当時の1991年(平成3年)、父・誠孝さんも既に「初挽き」奉納工人の大役を果たし、これまでの数々の受賞歴のなかでも、2003年(平成15年)の「みちのくこけしまつりコンクール」では、正に名工に相応しい内閣総理大臣賞を受賞。技量に長けた父・誠孝さんの下で修行を重ねた英之さんは、作ることが「苦」であった修行の時を経て、ようやく仕事として成り立つ「あたり前」になったと話します。

※小野宮惟喬親王(おののみやこれたかしんのう):平安中期の文徳天皇の第1皇子。歌人として優れ、皇位に就かず出家して近江国滋賀郡小野に隠棲。木地挽きのロクロを考案したと伝えられ、木地業を司る神様として全国各地に小野宮惟喬神社が存在する。