福島盆地の西に位置する吾妻連峰の麓、西の土湯温泉入口から北の飯坂温泉を結ぶ約14キロの県道5号線一帯には、桃や梨、リンゴなどの果樹園がいたるところに広がり、沿道に桃狩りや梨狩りができる直売店が多いことから、通称「フルーツライン」と呼ばれています。例年、7月下旬の桃の収穫から始まり、秋口からの梨やりんごの収穫と、初冬に至る約半年間に渡り、「果物王国」福島を象徴する存在として、数多くの観光客で賑わいます。
このフルーツライン沿いの町庭坂地区で、明治から100年以上も続く果樹園を3代に渡って営まれるのが、今回「ふくしま人」へご登場を頂いた、福島市の「あん果樹」こと、「あんざい果樹園」の安齋一壽(あんざいかつじゅ)さん。安齋さんは有機栽培に力を入れた果樹園を営む傍ら、ご家族の手で改装した母屋の一角を利用し、奥様の久子さんが現代作家の器を中心に、衣類や雑貨のギャラリー「器や あんざい」を開き、時季に合った器の展示や作家を招いての個展を開催する他、果樹園で穫れた果物を使い、次男夫妻が自家製スイーツとお茶を提供するカフェ「Cafe in CAVE」を開くなど、“コンテンポラリー農家”と自嘲しながら、ご家族それぞれが農家の枠にはまらない、ユニークな活動を展開しています。
1970年代にイギリス・フランス・ドイツで始まり、ヨーロッパから世界に広まったグリーンツーリズムやエコツーリズムを背景に、安齋さんは8年程前から、友人交流や旅行、国際親善をしながら、有機農業に力を入れる農家へ「力」を提供する代わりに、無償で「食事・宿泊場所」を提供する制度「WWOOF(ウーフ)※1」を活用し、アメリカ・イギリス・国内各地から様々な人達を受け入れてきました。
「『WWOOF(ウーフ)』を始めた切っ掛けは、たまたま息子と農作業をしていて、誰かボランティアで手伝いに来てくれる人はいないかと冗談で話しをしていたら、数日後にこんな制度があるよと息子が言ってきて、詳しく調べてみたら『WWOOF』というシステムでした。受け入れ側が一切金銭の関わりがなく、食べ物と寝る場所を提供し、来てくれる人が仕事を提供して貰うシステムです。すぐに登録し、アメリカやイギリス、日本の都会から1週間から1ヶ月単位で来てくれるようになりました。専門的な仕事はできませんが、簡単な農作業とか家の中の仕事をやって貰い、色々な人と知り合いになれて、楽しいシステムだと思います。」
生業の果樹栽培の他に、家族それぞれが器ギャラリーやカフェを営みながら、日常生活のなかにいつも外へ開いた目を持ち、豊かで楽しい生活の方法を自らの手で見出してきた安齋さん一家に、2011年(平成23年)3月に起きた震災と原発事故により、家族の中に起こった変化をお聞きしました。
「震災当日は、次男が東京で農業法人化コンペのプレゼンテーションをしていて、直ぐ逃げるようにと連絡が来ました。とりあえず次男家族と妻が車で東京へ行き、隣りの家の長男家族と私が福島に残り、次男家族はどんどん西の方へ移動して長崎の知人の世話になり、そこで1ヶ月間生活してから札幌へ移動しました。現在は新しいカフェを始めて札幌で生活しています。長男家族も少し遅れて長野の安曇野へ避難し、今はそこで就職して暮らしています。」
2011年(平成23年)の夏から果物の収穫期に入ると、桃23ベクレル/キロ※2の計測データがドキュメンタリー番組で放映され、翌年の2012年(平成24年)も同じ数値が出れば、果樹栽培は本当にダメだと思ったと安齋さんは話し、自主的に2012年の春先から行った除染作業について、引き続きお話しをお聞きしました。
※1:WWOOF(ウーフ):http://www.wwoofjapan.com/main/
※2:ベクレル/キロ(食料や水1kg当たりの放射能の量)