2013年(平成25年)1月から始まるNHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台となる会津若松。主人公となる新島八重(にいじまやえ)は、会津藩の砲術指南の山本家に生まれ、藩校日新館で教鞭を執った、武芸と学問に優れた兄・覚馬を師と仰いで砲術を学びました。1868年(慶応4年/明治元年)の戊辰戦争(会津戦争)若松城篭城戦では、鳥羽・伏見の戦いで負傷し、亡くなった弟・三郎の形見の装束を身にまとい、髪を切って男装し、大小刀を帯刀して7連発式スペンサー銃を片手に、圧倒的な勢力の西軍を相手に狙撃兵として勇敢に戦いました。
例年9月に開催される「会津まつり」は、総勢約500名の武者姿で市中心部を練り歩く「会津藩公行列(あいづはんこうぎょうれつ)」でクライマックスを迎え、各所で奴隊の毛槍の所作が披露され、沿道を埋め尽くす大勢の観客から歓声が上がります。今年は「八重の桜」の出演者も特別参加して花を添えるなか、
留守備家老「内藤介衛門」に扮して参加されたのが、今回「ふくしま人」へご登場を頂いた会津若松市の佐藤芳賢(さとうよしかつ)さん。
佐藤さんは1882年(明治15年)、荷車の製造販売で材木町に創業した「嶋田本店」の4代目で、今は「株式会社共榮」と社名を変え、会津産のクリやブナの端材を有効活用し、2009年(平成21年)の大河ドラマ「天地人」にちなみ、「愛・直江兼続」と名付けた火縄銃と短筒の「木製ゴム銃」を製造販売しました。翌年の「龍馬伝」では愛用のアーミー拳銃、そして今年の「八重の桜」ではスペンサー銃と、子供から大人まで安心して遊べるオモチャとして、また本物志向の愛好家にも応える本格的な木製モデルガンとして人気を博し、テレビや新聞などのメディアで話題を集めています。
これまでの木製ゴム銃が並ぶ棚を背にする佐藤さんへ、創業時の荷車から木製ゴム銃に至るまでの沿革をお聞きしました。
「1882年(明治15年)に、曾祖父の佐藤嘉蔵が荷車(大八車)を製造販売する嶋田本店を創業しました。大正時代には陸軍歩兵第29連隊が会津若松に設営され、大量の軍用荷車を納入しましたが、荷車の需要が減った戦後からは、冬の荷物運搬用ソリやスキー、馬に荷物を載せる馬具、草転がしや唐箕(トウミ)などの農具、飯ベラや洗濯板、コートハンガーなどの雑貨を作るようになりました。プラスチック商品や海外からの安い商品が入るようになり、椅子やテーブルなどの家具部品の量産に変えてから工場が手狭になり、1977年(昭和52年)に現在の場所へ工場を移しました。木工製品だけに拘りながら、目まぐるしく変化する製品の流れのなかで、内装やテーブル、商品ディスプレイなどの受注生産を続けて今に至りますが、自社のオリジナル商品を持たなければと思い、“木製ゴム銃”を作りました。」
昨今の日本経済の冷え込みが経営に影響を及ぼすなかで、ニッチマーケットながら全国に多くのマニアが存在し、各地で公式競技会が開かれる“木製ゴム銃”に着目し、佐藤さんはこれまでのお客様とのコミュニケーションを大切にすることに加え、ICTを活用した販売戦略をすることで自社ホームページを構築し、ネット販売に力を注いでいます。また、最近では社員自らが積極的にSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使いこなし、いま“木製ゴム銃”は全国から多数のリピーターを獲得しています。