今月から始まった新しい“福島の空”新企画「ふくしま人」。福島県内のさまざまな業種の第一線で活躍する話題の人を取り上げてインタビューし、一歩掘り下げた魅力を紹介していきます。
そのトップバッターに登場頂いたのは、2007年(平成19年)「電話番号簿から観える街」を発行された第10代前福島市長吉田修一さん。吉田さんは1985年(昭和60年)の市長就任から2001年(平成13年)の退任まで、4期16年間に渡る多岐多彩な住民生活に密着した政策の実行に、その持ち前の明るさと歯に衣着せぬ明快な提言でリーダーシップを発揮されました。
退任翌年の2002年(平成14年)、郷土史研究に意欲を持つ同世代の友人らと「昭和初期ふくしま町並み研究会」を発足させ、吉田さん自身の幼少期の原風景が被る1926年(昭和元年)から1941年(昭和16年)までの、戦中から戦後に続く、福島市の町並み変遷の要因が除々に醸成された時期を追って、会員の記憶を頼りながら町並みの略図を作ることから始められました。
「電話番号簿から観える街」執筆の動機となったのは、1927年(昭和2年)中町の荒物雑貨屋3代目に生まれた吉田さんが、幼心に見てきた当時の町並みを正確に記録して再現したいとの思いからで、「商人の家に生まれた宿命的な因縁を感じる」と話します。ある時、友人が仙台逓信局発行昭和7年現在の福島郵便局電話番号簿を持参すると、それまで定点が見つからなかった町並みの姿を解きほぐす糸口となり、それが基礎資料となって、当時の町名と職業別に整理された編纂が進められていきました。
吉田さんが生まれた1927年(昭和2年)は、本町に駅前通り随一のビルとなる福島ビルヂィング(通称福ビル)が施工された年で、第一次大戦後の反動恐慌や関東大震災に端を発した金融恐慌の嵐が押し寄せ、日銀特融資によって県内経済の動揺も次第に沈静化していった頃で、高い志を持つ商工業人の熱意を経済人が下支えすることで、活気に溢れた当時の街の様子を忠実に本書は伝えており、それをインタビューで話す吉田さんの声にも熱が入ります。
寝食を忘れて働く商工業人や経済人らが息抜きに繰り出したのは、福島稲荷神社周辺の北町、宮町、仲間町などに点在した割烹や待合と呼ばれたところで、1938年(昭和13年)無病息災と商売繁盛を祈願して、割烹・待合・芸妓の三業組合によって、稲荷神社参道へ一対の狛犬が奉納されたことから、当時この一帯は、経済の歯車と暖かい花街の歯車が上手く噛み合いながら、花街独特の風情を醸し出していました。
本書の「お稲荷様と狛犬」の章には、そんな花街の一隅が紹介されており、活気に溢れた、輝いていた当時の街のすがたを彷彿とさせてくれます。