支店ホーム > ふらっとおでかけ 福島ぶらり > 国見町「阿津賀志山」


国見町「阿津賀志山」

立ち寄りたい「国見町の史跡」

奥山家住宅主館・洋館奥山家住宅主館・洋館

 1921年(大正10年)に建てられた奥山家は、和洋両方の接客空間を備えた、この地域では数少ない木造平屋建ての住宅建築です。南側の庭園に面した入母屋造り土瓦葺きの和風主棟と、寄棟造りスレート葺きの洋館を繋ぐ中央に玄関を配し、勢いのある天井板の竜の彫り物や、松竹梅鶴の欄間の彫り物をはじめ、板襖には入念に彫られた100体の七福神など、当時の繁栄振りや美に対する心遣いが伝わってきます。

藤田城跡藤田城跡

 1189年(文治5年)の奥州合戦で源頼朝が本営とした所。その後、中世伊達氏の一家(有力家臣)藤田氏の居城となる。 1336年?1392年の南北朝時代に南朝方の霊山城の支城となり、1347年(貞和3年)に北朝軍に攻められ霊山城と共に落城する。西と南の一部に土塁跡、北西隅に枡形虎口を残し、南北朝時代の東北地方の歴史解明にとって重要な史跡のひとつとされています。

義経の腰掛松義経の腰掛松

 阿津賀志山の麓にある赤松の名木。兄の源頼朝の追討から逃れ、鞍馬山を出奔(しゅっぽん)した源義経が、奥州平泉の藤原秀衡を頼って東下りする際に、この地で若松を折り曲げて腰を下ろしてひと休みしたと伝えられ、現在の松は樹齢200余年の2代目。江戸時代に焼き枯らし、焼き残った根幹が根元近くの小社(義経神社)に囲われ保存されています。国見町天然記念物。

旧奥州道中 国見峠長坂跡旧奥州道中 国見峠長坂跡

 阿津賀志山の中腹から始まる防塁を過ぎた辺りから、険阻な山坂が続く国見峠の難所を示す奥州街道跡が残され、俳聖松尾芭蕉が「奥の細道」の紀行で、『気力聊(いささ)かとり直し、路縦横に踏んで伊達の大木戸をこす』と詠んだ句碑が建つ。この一帯は奥州合戦で激戦を交えた古戦場で、当時の信夫郡の豪族で藤原泰衡の郎従(ろうじゅう)佐藤基治一族の首級(くびしるし)が、この先の経ヶ岡に晒された。

お問い合わせ

奥山家住宅主館・洋館
住所:伊達郡国見町藤田字北11-2・7-1
http://www.town.kunimi.fukushima.jp/sightseeing/18.html

藤田城跡
住所:伊達郡国見町山崎字北古舘地内ほか
http://www.town.kunimi.fukushima.jp/sightseeing/17.html

義経の腰掛松
住所:伊達郡国見町石母田字笠松地内
http://www.town.kunimi.fukushima.jp/sightseeing/24.html

旧奥州道中 国見峠長坂跡
住所:伊達郡国見町大木戸字長坂地内
http://www.town.kunimi.fukushima.jp/sightseeing/25.html