支店ホーム > ふらっとおでかけ 福島ぶらり > 本宮市 岩角山
岩角山(いわつのさん)は、平安時代、伊達市の霊山(りょうぜん)などと同じ頃に天台宗の三世・慈覚大師(じかくだいし)によって開かれたといわれ、天台密教の道場として栄えたと伝えられます。福島県教育委員会の設置した解説板によれば、江戸時代になり二本松藩主・丹羽光重(にわ みつしげ)が信仰し、岩角寺(がんかくじ)の住職・豪伝(ごうでん)が、復興に力をつくし、特に毘沙門天の信仰が厚かったとあります。
岩角山の標高は337メートル。阿武隈山地の中部に位置し、全山が花崗岩(かこうがん)で形成され、我が国の代表的な花崗岩浸食風景であり、「岩角山」という名称はその風景からつけられたとされます。
寺院の正式名称は、和田山常光院岩角寺(わでんさん・じょうこういん・がんかくじ)。開山は851年(仁寿元年・にんじゅ)、天台宗第三祖・慈覚大師により、天台宗総本山比叡山延暦寺の直末寺です。正月三日に行われる「大梵天祭」により、よく知られています。
開基の際に、この岩窟の中に1本の石の角が突き出ていて、それが山の名前の起りになったとされています。長さ約75センチメートル、太さ約15センチメートルの石角で、現在は寺宝として保存されています。慈覚大師は、この岩窟を草庵として風雪を避けて、毘沙門天王の像を彫刻。安置したのは、開基とされる851年(仁寿元年)より9年後の860年(貞観2年・じょうがん)と伝えられています。
現在の毘沙門堂・堂宇は、1862年(文久2年・ぶんきゅう)に建立されたものですが、幾度かの変遷があったそうです。
初めは1261年(引長元年・こうちょう)に、ここ岩角山に建立されました。その後、最明寺時頼入道(さいみょうじときよりにゅどう)(北條時頼)が、3キロメートルほど西の方にある花水山に堂宇を建ててうつしていました。
1693年(元禄6年・げんろく)になり、二本松城主・丹羽公が、荒れた状態のままになっていた花水山から再び、岩角山へ毘沙門天王を遷し、天下泰平、国土安穏、諸願成就の一大祈願道場として奉りました。その後、堂宇は災害にあいましたが、1862年(文久2年)の建立により現在へと至ります。
「毘沙門尊天」「吉祥天女」「善尼師童子」の3体は、昭和30年に福島県重要文化財に指定されています。
城主・丹羽公は、岩角山を唯一つの祈願寺としていたということで、岩角寺住職の豪伝和尚とともに、西国三十三観世音の霊場から分霊を勧請しました。岩角山の全体に点在する線で彫られた像は、西国霊場33カ所の観世音のほか菩薩、天王、天神など、約808躯を数えるとのことです。江戸時代には、観音霊場巡礼は民間信仰であり民衆のレクリエーションでもありましたが、西国までの巡礼は、誰もができる旅ではなかったため、分霊観請は巡礼者にとって大いに便宜が計られたものとおもわれます。また、彫られている仏像には、石工や奉納した信者の名前とされるものが刻まれ、かなり険しい場所にも彫られ、当時の人々の信仰の厚さが推し量られます。
境内には、ほかにも観請・安置された尊像・塔が数多く祀られています。山内には、「福島県緑の文化財」指定の「あすなろ」の巨木、「福島県天然記念物」指定の「石割りソネ(イヌシデの別名)」の巨木、竹林などがあります。山頂からの眺望がみごとで、南に那須連峰、安達太良山を一望にし、北には吾妻連峰という位置にあります。全山が、「名勝天然記念物」に指定されています。