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コミュニティ・コーディネイター 鎌田千瑛美

鎌田千瑛美

ふる里“南相馬”の姿を原点に女子の目線で繋げる人と人

 今回「ふくしま人」へご登場頂いたのは、コミュニティ・コーディネイターの鎌田千瑛美(かまだちえみ)さん。南相馬市出身で大学進学と共に上京したが、震災を切っ掛けに、2011年3月、勤務していた東京のIT企業を退職。フリーランスとして復興支援に従事しながら、同年12月にUターンし、「一般社団法人ふくしま連携復興センター」でさまざまな復興支援プロジェクトに参画しました。2014年(平成26年)7月から田村市船引町の「NPO法人蓮笑庵(れんしょうあん)くらしの学校」で、四季折々の季節を感じながら豊かな自然のなかに佇み、ともに感じ、毎日の「暮らし」のなかに学び合う空間作りを進めています。復興支援での活動を通して繋がった熊本県水俣市から帰ったばかりの鎌田さん(蓮笑庵)をお訪ねし、東京での仕事を辞めて福島へUターンし、復興支援の活動に従事していった動機からお尋ねしました。
 「福島県南相馬市の生まれで、大学進学を機に東京へ行きました。震災があった時、私は東京におりましたが、実家は海からすぐの所だったため津波で被災しました。震災直後に福島へ戻った時にふる里の姿を目にし、そこに一人で立った時に、なんだかふと、このままだと『自分のふる里を失ってしまう』と思ったのが、今の活動の大きな原点だったと思います。そこから復興活動の支援を最初個人で始め、いろいろな団体の方々と一緒に県内と県外を繋ぐコーディネイトをさせて頂く仕事をしていました。2011年の12月に福島へ戻る決意をしたのですが、その理由は福島の復興を考えた時に、県内と県外で大きなギャップがあると感じ、その繋ぎ目や繋ぐ役割が少ないと思ったからです。県内で起こっていることをきちっと県外へも発信し、県外から必要な支援を繋ぐことを仕事にしたいと思いました。その時にご縁のあった『ふくしま連携復興センター』という組織で仕事を始めたのが、福島へ戻る切っ掛けとなりました。ただその一方悩んでもいて、自分はふる里をなんとかしたいと思って戻って来たものの、どうしても放射能への不安を拭いされなくて、将来の子どもや孫に何かあった時にどう責任を取ればいいのか、結婚も出産もこれからという時期にどうしたらいいのか凄く悩みました。そんな時にこれから北海道へ避難する同世代の女性と出会いました。彼女の考えは自分達が選んだ選択とは違ったのですが、違う意見を否定するのではなくて、一緒に違う立場から福島のことを考えられないか、そんな繋がりが出来たらいいなと思い、彼女と一緒に『peach hart(ピーチハート)』という活動を始めました。」
 鎌田さんらは一人ひとりの意見や判断が違っても、それぞれの想いや決断を否定することなく、想い合い、理解し合える「本音の言える場作り」を目指し、学生や社会人などの枠を超えて、同じ境遇にある若い女性たち自らが、“この福島をどう生き、女性として、未来のママとしてどんな人間になっていくのか”を話し合い、共に支え合えることを目的に任意団体「peach hart」を立ち上げました。料理やヨガ教室、女子トークカフェを組み合わせた定期的なイベントを開催することで、不安や悩みの他にも、自分らしい選択や福島の良さ、マイナスだけではないプラスのエネルギーの声を発信していこうとする女性が増えていったと話します。
 「『peach hart』は任意の団体として始めたのですが、当時一緒にやっていた友達が、福島の女の子達の声をきちんと継続的に発信できる組織をつくりたいという想いで、株式会社として『ガールズライフラボ』を立ち上げ、『女子の暮らしの研究所』という取り組みを始め、今はその活動の運営も一緒にやっています。大きくは福島の伝統工芸品を『カワイイ』という切り口から商品化して販売したり、女子の目線で伝えたい情報をラジオから発信したり、スタディツアーを企画したりしています。そんな本音で話し合ったり、情報発信する活動3年間を経て、私達自身もきちんと振り返りたいと思い、『自分達の身近な暮らしを、こういうことがあったからこそ見直して一緒に考えていこう』という主旨のイベント『ふくしまガールズフェス2014』を企画しました。その時にゲストを県外から呼びたいと思い、最初に思いついたのが『水俣病』があった水俣の同世代の女の子を呼ぶことでした。去年、いろいろな人から水俣へ行った方がいいよと言われ、若手の人達で水俣へ勉強しに行こうという場に参加させてもらい、水俣で同世代の女の子達と出会ったことが切っ掛けでした。」
 震災後、「水俣と福島は似ている」と耳にする機会が増えた鎌田さんは、2013年(平成25年)12月、水俣病の教訓を学ぶ目的で、化学工業会社チッソが海に流した水銀廃液により引き起こされた公害病「水俣病」があった熊本県水俣市を訪れました。発症から約60年を経た現在もまだ終わっていない水俣病の現実を目の当たりにし、「水俣病」の問題に向き合う水俣と、これからの福島とを重ね合わせた想いを引き続きお聞きしました。