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コミュニティ・コーディネイター 鎌田千瑛美

鎌田千瑛美

3.11後のコミュニティをコーディネイトする新しい「福島のくらし」

 1956年(昭和31年)に熊本県水俣市で発生が確認され、環境汚染による食物連鎖により引き起こされた公害病「水俣病」は、現在も症状に苦しむ人や「水俣病」認定などを巡って裁判が争われています。被害者への差別や風評被害、補償や認定などを巡る被害者同士の対立や分断などが起こり、地域の絆を壊し、人々の間に埋めがたい深い溝を生み出すことが、原発事故以降の福島との共通点が多いと事故直後から指摘されてきました。
 「遠い昔に『水俣病』があったところという感じでお邪魔したら、発生からもう約60年も経った場所ですが、未だに『水俣病』の患者さんが沢山おられ、今も問題に向き合っていることに凄くショックを受けました。自分が過去のこと、歴史の1ページだと思っていたら、その人達にとっては現在進行形だったという事実に、廃炉まで最低でも40〜50年、そこから先もまだまだ課題が残る福島を重ね合わせました。60年経ったらとか100年経ったらと想像した時に、『水俣病』があった水俣のことも水俣だけの問題とは思えなくなり、福島のことと同じように水俣のことも考えるようになりました。そして、もっともっと福島の人も水俣のことを学びながら、自分達のことを考えることが必要だと思いました。水俣には凄くステキな人達が沢山いて、お水も凄くきれいな自然豊かな所で、自分が思い描いていたマイナスのイメージとは全く違っていました。今の福島も水俣と同じくマイナスのイメージで見られていると感じています。同じマイナスイメージを持つ水俣と福島がお互いに「福島いいよ」、「水俣いいよ」と一緒になって伝えていければ凄く大きなエネルギーになると思うし、また同じ思いを持つ友達と出会えたことが大きな力になっています。水俣には何回か行き来させてもらっていて、今は向こうからも来てもらい、こちらからもお邪魔する良い関係が少しずつできています。」
 2014年(平成26年)7月以降、鎌田さんは田村市船引町にある民画家 故・渡辺俊明(わたなべしゅんめい)のアトリエ兼工房だった「NPO法人蓮笑庵くらしの学校」の進めるプロジェクトのメンバーとして参加し、原発事故後の大きく損なわれた福島の未来を「くらしの見つめ直し」という切り口からアプローチし、地域に根ざした衣食住の文化や、ていねいな「くらし」を学ぶワークショップ、復興現場の活動や課題について学ぶ研修ツアーなどを進めています。
 「今年6月に前職の復興支援活動に一旦区切りをつけたのですが、理由は自分のなかで復興とか支援といった言葉だけではない、もっと福島で普通に当り前に生きてることとか、そういうところにいっぱい大事なことがあるんじゃないかと思うようになったことです。
 今も非日常的な感覚はあるのですが、みんな当り前に生きている、そういう『ちゃんと生きている』ことの足元から、日々見つめ直していく作業をこの場所でできたらと思っています。その思いが『くらしの学校』の活動の意味にも込められているので、この活動に関わっています。今は古民家再生の担当をしています。凄く古くて汚い不便なお家です。取り壊すのはもちろん簡単ですが、自分達の足元からできることをやっていきたいと思った時に、私の中ではその可能性がある場所だと思いました。面倒なこととかやりたくないことの中に、ちゃんと楽しみを見出して暮らしていけるなら、お金がなくても自然体で楽しく生きられている感覚をこの場所からもらい、やれることをちゃんと知ってもらえたらいいと思い、この場所からいろいろな活動をしていきたいと思っています。」
 鎌田さんは「福島で暮らしていくことのさまざまな問題が入った箱は、とりあえず横に置いておき、心に余裕があったり知りたくなったり何かしなければと思った時に、その箱がそこにあることが大事で、いつでも開けられるし、もしかしたらずっと閉じたままかもしれない。でも、しまい込んだり捨ててしまったり、端っこに追いやったりせず、ちゃんとそこにあることが大事だと思います。」インタビューを終えた雑談のなかで分かりやすい例えを話し、「福島が抱える問題や社会の課題はたくさんあって、震災後はその一つひとつに胸がいっぱいになり、苦しくて涙が止まらない日もありました。そんな中で、何も出来ない自分を責めたりするのではなく、いろいろな問題を横に置いておくという技を身につけました。知らんぷりするということではなく。だって、すべては繋がっているから。」と結びました。

取材後記

今回「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、田村市のコミュニティ・コーディネイター 鎌田千瑛美(かまだちえみ)さん。震災を切っ掛けに2011年3月に勤務していた東京のIT企業を退職し、個人で復興支援活動に従事しながら、同年12月にUターンし、「ふくしま連携復興センター」でさまざまなプロジェクトに参画。そのなかで訪ねた水俣との連携を進めながら、田村市の「NPO法人蓮笑庵くらしの学校」で、何気ない日常の大切さを見つめ直しながら教育の切り口からアプローチし、自分の生き方に活かしていく場作りに関わるほか、友人らと『カワイイ』という女子の目線の切り口で、さまざまなオリジナル商品開発や企画イベントを開催。震災と原発事故後の福島県を代表する若手オピニオンリーダーのお一人として活躍されています。
◎NPO法人蓮笑庵くらしの学校:http://renshoan.jp新規ウィンドウで開く