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日曜ミュージシャン 菅原ミワ

菅原ミワ

プロの心にも響くいわきの“日曜ミュージシャン”フォーク

 東日本大震災から4年目を迎えた3月11日。地震と津波により沿岸部に甚大な被害を被ったいわき市では、被災地に心を寄せるミュージシャンやアーティストらが全国から集まり、震災で亡くなられた方々と家族などの大切な人を想い、音楽やアートによって傷ついた心を癒やし、生きる希望を見出しながら人や地域が繋がり、さまざまなアイディアが生まれ、感動や楽しさと共に未来への新しい力となる繋がりの場として、ミュージシャンのタテタカコさんらが中心となって主催する『ASYLUM 2014 fukushima』がclub SONIC iwakiで開催されました。
 開場前から入口周辺には大勢の入場者が長蛇の列を作り、開場と共に超満員となったホールのステージ上には、開演と同時に白布を張ったスクリーンにライブペイントが映し出され、次に登場した地元いわき市を代表するフォーキーデュオ、『ミーワムーラ』の演奏に魅入りました。今回「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、アマチュアでありながら、その音楽性と実力をプロのミュージシャンや音楽関係者からも高く評価され、いわき市をベースに音楽活動をしながら、沖縄や関西、関東などでも活動をされる、いわき市のフォーキーデュオ『ミーワムーラ』のヴォーカルとギター、菅原ミワ(すがわらみわ)さん。『ASYLUM 2014 fukushima』へ出演された翌日、プロフィールを混じえながら、菅原さんの音楽への想いや音楽活動を始めた経緯からお話しをお聞きしました。
 「いわき出身で、いわき在住で、『ミーワムーラ』というユニットでヴォーカルとギターで活動しています。子供の頃はすごく活発で、外で自然遊びをするのが大好きでしたが、そんな中でも歌を歌うことがすごく好きで、漠然と将来は歌手になる夢を抱いていたことを憶えています。スポーツをすることも好きで、高校を卒業するまで盛んにスポーツもやっていました。卒業してからいわきで就職し、たまたま出会った方に『バンドに入って歌わないか』とお声を掛けて頂き、その出会いを切っ掛けに歌うことが始まりました。皆さん海に近い所に住んでいて、海の目の前の家の庭などで、近所のお子さんやおじいちゃんやおばあちゃん達を集めて、オリジナル曲のお披露目会をする感じでスタートしました。3年位経ってギターの方がお辞めになり、バンドメンバーの方がすごいギタリストを見つけたという話しを聞き、そこへ来られたのが今一緒にユニットとして活動しているギターの村重光敏(むらしげみつとし)さんです。そのバンドへ加わって頂いて3年程活動し、そのバンドが解散という形になった時に、このまま二人で活動を続けてみようという流れで、今の『ミーワムーラ』があります。」
 菅原さんは様々な人達との出会いや応援があり、簡単に出来たものではなく、長い時間を掛けて今の『ミーワムーラ』に至っていると話し、ジャズやボサノバなど幅広いギター演奏をこなし、スタジオミュージシャンとしてプロのギタリストとして活躍された経験を持つ村重さんと一緒に普段は大工さんのお仕事をされながら、休日を中心に自称『日曜ミュージシャン』の音楽活動と、お仕事を通して村重さんから学ぶ毎日と、その人柄を話します。
 「村重さんと出会った頃に、それまでやっていた仕事を丁度辞めた時期で、村重さんがやっている建築工房のお仕事を手伝う機会があり、その流れで学ばせて頂きたいとお願いして就かせて頂くようになり、師匠と弟子という形でお仕事をさせて頂くようになりました。音楽も建築の大工の仕事もそうですが、技術的なところで沢山学べるところが多く、それ以上に人間性の部分でも普段誰にも教わらないことや、人間的な姿だったり、言葉では学べないところも吸収させて貰っています。『いわきの宝』と皆んなが思っている人と『ミーワムーラ』というユニットとして活動させて貰いながら、日頃、音楽の上でも思ったり感じたり、こうしたいと思うところを常に話し合うことが多く、ステージでは一人一人がそれぞれにやっているようで、二人で一緒にやっている感覚がいつもあり、慣れ合いには決してならず、厳しい状況もいっぱいありますが、一番楽しんでやることを学ばせて頂いていると思っています。」
 『ミーワムーラ』のオリジナル曲約20曲の殆どを菅原さんが作詞作曲し、曲のイメージを大事にしながら、そこへ村重さんのアレンジが加わることで曲の世界が広がり、機会がある毎にお二人で何度も『合わせる』作業を繰り返すことでさらに作り込まれ、ステージでの演奏を重ねることで完成度が上がり、次第に曲に色がついていくと菅原さんは話し、普段の菅原さんの曲作りについてお聞きをしました。
 「いろいろな曲の作り方をしていますが、子供が遊ぶように出来上がることもあります。 普段、思いついたメロディを録音したり、歌詞を書き留めるようにしていますが、最初に曲のストーリーが出来上がり、そのイメージを大事にしながら作っていきます。はっきりとした強い歌詞は少ないと思いますが、聴く方によっていろいろなイメージを膨らませられるような、スペースのようなものがある曲になればと思っています。私は『作る』ということに向き合わないと作れないので、仕上げるのは自分の部屋で『作ろう』と思っていつも作ります。出来上がった曲の最初のイメージを大事にしながら、村重さんのアレンジでスパイスを加えることで、少し曲のイメージが変わることもあります。」
 菅原さんは学生の頃はあまり手にすることはなかった本を数年来読むようになり、作者の想像力やストーリーの展開、言葉の使われ方などが面白く、本を読むことが好きだと話し、村重さんと同世代の以前のバンドメンバーから80年代前後の曲やミュージシャンを教えて貰ったことで、幅広い年代の曲を沢山聴いたことも曲作りの中に影響していると思うと話し、引き続き2011年3月の震災と原発事故を経験された後の様子と、様々な人との出会いや機会による音楽活動の変化や想いについてお話しをお聞きしました。