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シンガー・ソングライター 堀下さゆり

堀下さゆり

音楽を必要とした復興の街に流れるありふれた毎日が夢と歌う歌

 先の東日本大震災で大きな被害を受けた相馬市。津波による被害で多数の避難生活者を抱え、加えて放射能汚染により市民生活が混乱する中、不安に煽られる市民に唯一情報を伝える役割を果たしたのが「そうまさいがいエフエム」でした。市役所内の防災無線室のわずかなスペースに設けられたスタジオから、震災後の3月29日に開局以来、市内の放射能測定値、交通情報、生活関連情報など、今も最新情報と市民からのリクエスト曲を発信しています。
 開局以来、このスタジオでボランティアのパーソナリティーを務めるのが、今回「ふくしま人」へご登場を頂いた相馬市出身のシンガーソングライター堀下さゆりさん。堀下さんは新作のレコーディング作業を開始する最中、たまたま相馬市の実家に帰省していて震災に遇い、予定していた関西でのライブツアーの中止、その後の活動の一時休止を余儀なくされ、丁度1年を経て状況が落ち着いてきた現在も、地元相馬市の復興活動に関わりながら、3月からのワンマンツアーと、中断していた5年振りのニューアルバム制作に向けて準備を整えています。
 平日午前10時から約1時間のパーソナリティーを終えた堀下さんを、「そうまさいがいエフエム」のある相馬市役所の防災無線室に訪ね、幼少期の音楽との関わりや、震災を経験して見失いかけた“音楽の力”への思いなどをお聞きしました。
「6歳の時に、母に髪をとかしてもらいながら“ピアノをやってみない?”と言われ、子供ながら母を喜ばせて上げたいと思い、ピアノ教室へ通い始めたのを憶えているんですよ。母は自分では弾けないので、私にショパンの“別れの曲”を弾かせて聴きたかったと言っていました。専門コースで作曲もしたり、他の習い事は続かなかったのに、なぜか音楽は楽しくて続けられました。アンサンブルをやりたくて中学・高校の時は吹奏楽部に所属して、今思うといつも音楽が近くにありましたね。」
 本格的に音楽と関わるのは大学進学後のことで、音楽サークルに所属してコピーバンドでキーボードを担当し、オリジナル楽曲を手掛けるようになり、就職活動を始める前に、一度自分の可能性を試したいと送ったデモテープが、FM局主催「東北セレクション2002」で優秀賞を獲得。同年8月にミニアルバム『リリーライフ』でインディーズデビュー、2005年にはフルアルバム『カゼノトオリミチ』でメジャーデビューを果たします。
「インディーズデビューした後はトントン拍子で上手くいくと思っていたら、やはりそう甘くはなくて、自分の歌を聴いてもらう機会を増やすために、ライブハウスやストリートライブでよく歌いました。真夜中の新宿南口や渋谷のモアイ像の前、吉祥寺から渋谷を結ぶ井の頭線の何駅かで、ストリートライブをしながらファンと歩くツアーで警察の方に注意をされたり(笑)、未知のことに飛び込み、チャレンジをしたいという“欲”が強かったんだと思います。」
 インディーズの頃に出した3枚のCDのひとつ『プライベート』に収録の『カゼノトオリミチ』が、2004年にNHK「みんなのうた」に取り上げられた経緯をお聞きすると、
「たまたまNHKの方がこの曲を聴いて下さり取り上げて頂きました。スタジオジブリの望月智充さん、近藤勝也さん、田中直哉さんらが作られたアニメーションが、自分の曲に合わせて流れていることが嬉しいのと同時に遠い世界のようで、今ひとつ最初の頃はリアリティを感じることが出来ませんでした。日常を少し離れて、また頑張ろうと日常に戻るストーリーの曲なのですが、取り上げて頂いたことで全国の人に知られることになり、いろんな所で歌わせてもらいに行きました。育児に追われる若いお母さんが、いつも『カゼノトオリミチ』を聴いて頑張れましたと、涙を浮かべて話しかけられたことがあり、自分の音楽活動で精一杯の頃で、今まで歌ってきて本当に良かったと思えた大事な曲です。」
 2005年のメジャーデビュー以降、東京・名古屋・大阪を中心に全国で積極的にライブ活動を行い、名古屋でレギュラーラジオ番組を務めるなど、アルバム4枚の他、ライブアルバムやDVD、数々の配信限定シングル作品を発表し、自主企画ライブやニューアルバムのレコーディングを開始する最中、たまたま帰省中に震災に遭い、音楽を避けてしまった一時期を経て、また“音楽の力”を信頼していく過程を引き続きお聞きをしました。

※トップ写真協力:堀下さゆり様