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オルタナティブスペースUDOK. 小松理虔・丹洋祐

UDOK

小名浜シャッター通りから拡散する「晴耕“UDOK”」のライフスタイル

いわき市の港町、小名浜。所々にシャッター店舗が目立つ本町銀座商店街(県道15号線)の一角に、夕方の定時を過ぎてオープンする20坪のオルタナティブスペース「UDOK.(=雨読)」。UDOK.は、晴耕(=本業)後の雨読(=本業以外のクリエイティブな活動)のためのスペース。ある時は商店街の通りにボサノバ調のアコースティックな歌声が流れるライブハウス、また台本も脚本もない即興劇に歓声が沸く芝居小屋、そして震災後の街作りの具体的なビジョンを自らが発し、実践していこうと「小名浜復興計画」を議論するミーティングルームと、多目的な雨読のためのスペースです。
今回「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、小名浜のオルタナティブスペースUDOK.の共同主宰者、小松理虔(こまつ・りけん)さんと丹洋祐(たんようすけ)さんのお二人。小松さんは法政大学卒業後、福島のテレビ局報道記者を経て、中国上海で日本語教師として教壇に立ち、日本人向け情報誌の編集ディレクターを経て帰国。現在小名浜の木材商社に勤務されています。丹さんは東北大学卒業後、長岡造形大学大学院修了。大学職員を経て群馬県の環境事業会社に就職し、Uターン後同じくいわき市内のゼネコンに勤務。それぞれ県外での活動経験を持ち、今は生まれ故郷の小名浜で本業を持ちながら、「晴耕雨読」のライフスタイルを提唱し、実践しています。
「2009年に上海に居た頃、古い倉庫や空きビルを勝手に改装して、アーティストやDJ、デザイナーらが自由にイベントを開いたり、メディアが生まれたりしているのを目の当たりにして、これをローカルな小名浜でやれたら、同じカルチャーが出来上がっている東京で始めるよりも、きっと注目をされて価値が生まれると直感しました。」
と、小松さんはUDOK.を始める切っ掛けとなった上海のクリエーター達の話題を取り上げ、既に始めていたインターネットマガジン「TETOTEONAHAMA」のネット空間と連動した、実際に人が集まれるスペースの必要性を考えていたと話します。
「仙台と新潟で学生生活を送り、群馬県の高崎で就職をして小名浜へUターンをしましたが、県外での経験をしてから小名浜で何かをしたいと思っていたので、小松さんのインターネットマガジンを見た時は、小名浜でこんな面白いことをしている人が既にいるんだと驚いたんですよ。」
と、丹さんは先を越されて少し悔しかったと苦笑する。程なくTwitterで知り合い、実際に居酒屋で会って話しをすると、互いの向いている方向が殆ど同じだと分かり、居酒屋での会話も週2〜3回を重ねたと笑う。
「いわきの中心は昔から平でしたが、小名浜に戻って改めて歴史やバックボーンをよく調べると、海や魚や港があって、小名浜で作られた食生活や魚の文化がきっちりと昔から出来上がっています。だから平ではなく港町の小名浜だからこそ、自分達が発信できるコンセプチャルなライフスタイルがあるんじゃないかと思ったんですよ。」
小松さんは「小名浜には何もない、集まれる場所がない」と話す若者の声をよく耳にするとも言い、それは小名浜を上手に見せて、魅力的に見せるシーンを作る人が居なかったから、と小名浜を離れて小名浜を外から見た正確な分析を分かりやすく紹介する。
「小松さんとUDOK.が出来る前に、早朝の港周辺をよく歩いたんですよ。漁から戻った漁師さんが集まる食堂があって、仕事を終えて朝からビールを飲む店内には浜言葉が飛び交います。小名浜に居た当時なら怖いとかダサイと感じたはずが、外から戻った自分にはカッコ良く見えて、このカッコ良さを新しいカタチに変えて伝えることが、自分達なら出来ると思いました。」
丹さんの言葉に小松さんは頷きながら、表現する場として地方の小名浜にUDOK.の旗を立てることで、小名浜を出なくても東京と同じような面白いことは出来るし、小名浜を出た人にも、自分達の活動を見てもらうことで戻る切っ掛けにも繋がると話し、震災を経験したことで、より小名浜への思い入れが強くなり、ここで活動している意味も高くなったと話す。