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公衆電話料金磁石式公衆電話機共電式公衆電話機1890(明治23)年1897(明治30)年1899(明治32)年1900(明治33)年電話所において開始1通話時(5分以内)5銭市内市外明治33年1900(明治33)年9月、それまで電信局・電話局内の電話所だけにしかなかった公衆電話が、初めて街頭に進出した。まず、上野・新橋の両駅構内の2カ所に設けられ、翌10月には、最初の屋外用公衆電話ボックスが京橋のたもとに建てられた。以後、その数は次第に増え、明治末には全国で463台を数えた。当時、「自働電話」と呼ばれていたが、これはアメリカの街頭電話に表示されていた「オートマティックテレホン」をそのまま直訳したといわれている。1925(大正14)年、自動式の導入を機会に現在の「公衆電話」に改められた。明治36年共電式交換方式の採用に伴い、共電式公衆電話機が登場した。これは、以後1952(昭和27)年頃まで長期にわたり使用された代表的な公衆電話機である。この間、自動交換方式の採用により、公衆電話機のダイヤル化が検討され、1930(昭和5)年、M-28形自動式公衆電話機5台をドイツから輸入、これをもとにSH形自動式公衆電話機55台が試作された。東京、大阪などで試験的に使用されたが、料金収納装置などに不備な点が多く、公衆電話の自動化は、ついに戦後に持ち越された。3681通話時(5分以内)15銭1通話時(5分以内)10銭特徴5銭、10銭と2つの硬貨投入口があり、料金が落下する途中、5銭はゴング(チーンという音)、10銭はらせん状の鐘(ボーンという音)を鳴らし、料金投入を交換取扱者に知らせた。特徴外観は磁石式公衆電話機と類似しており、交換局を呼び出す磁石発電機がないのでハンドルが付いておらず、やや小型である。自働電話と称す1通話25銭以下(100km以内)の区間との市外通話の取り扱い公衆電話機のうつりかわり

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