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第5回 山間部の生活を守る

山の暮らしは電話が命

岩手県北東部、標高1200メートル級の山並に抱かれた久慈市山根町。豊かな自然に恵まれた風光明媚な山間の地域である。かつては炭焼きや養蚕、畜産が盛んで、1955年のピーク時には2500人以上の人口があった山根町。今では5分の1の508人(2000年国勢調査)に減ったが、この地を愛する人たちの心は変わらない。

林道から分かれた砂利道をさらに1時間ほど登った山腹にたたずむ一軒の家屋。山に隔てられ、近くの家に行くにも山越えが必要だ。この家の主は、山根で生まれ育った米内トヨさん。2人の子供を育て上げ、夫が他界した今もなお、大好きなこの地で元気に暮らしている。

晴れた日には庭の畑を手入れし、山のふもとの親戚の家まで散歩に出かける毎日。

そんなトヨさんの雨の日の楽しみのひとつが、同じ山根町に住む幼なじみの馬内チヨさんとの電話でのおしゃべりだ。

「おめぇはんはぁ、何やってだや?もうは、芋っこ植えだや?」

「植えだども、雨で膝が痛ぐで。医者さ、かかるほどのごどではながっだども」

チヨさんの家はトヨさんと同じ地区にある。といっても、トヨさんの家とは山をひとつ隔てた山の向こうだ。渓流沿いに家が立ち並ぶ集落の奥にチヨさんの一軒家がある。1町歩(約9917平方メートル)もあるという自分の畑で採れた大豆で豆腐を作り、郷土料理の"田楽豆腐"や焼き豆腐にしたり、寒い季節は凍み豆腐に加工したりと、チヨさんは忙しい毎日を過ごしている。チヨさんの豆腐は近所でも評判で、地区のお祝い事の時など、たくさんの依頼が来るという。夫が亡くなった後は、そうした仕事を1人でこなしてきた。今は手放したが、畑作業に加えて牛を8頭も飼育していたそうだ。

小学校時代から大の仲良しだったというトヨさんとチヨさん。お下げ髪の2人が共に学んだ深田小学校は既にない。お互い子どもたちが独立した今、何気ないおしゃべりが大きな楽しみだ。しかし家が山で隔てられているため、地区の慰安旅行以外、顔を合わせる機会はない。これまでも互いの家を訪れたことはないという。同じ地区に住みながらも、日頃の交流は電話に頼ることが多いのだ。

もちろん交友だけではなく、離れた街に住む親族との付き合いにおいても電話の果たす役割は大きい。都会で働く子どもたちにとって、故郷の母親の無事を折々確かめるために電話は欠かせない道具だ。また、お年寄りたちが日々の暮らしを送る上でも電話は不可欠だ。徒歩圏内に商店がないため、山の一軒家に住むお年寄りたちが米や食品、灯油、日用品などを買う際には、ふもとの商店に電話で配達を頼むという。まさしく電話がライフラインとなっているのだ。

生活を支えている電話網が山根町を網羅したのは遅かった。今から45年ほど前の1960年頃、山根町の電話は役場と郵便局、営林署くらいにしかなかった。その後、6ヶ所ある町内の集落に各1台ずつ「農村公衆電話」が設置された。初めて住民が自由に使える電話の登場だった。さらに、1960年代後半には共同回線による「地域集団電話」が導入された。当時の集落は20軒から30軒ほどだったという。

地域集団電話の導入の10年余り後、今から27年前の1978年12月には、交換台を通さず市外通話がつながる「電話自動化」が山根町でも完了した。電話が「一家に1台」となるのは、この「電話自動化」以降のことだった。

電話自動化は、翌79年3月に伊豆七島の利島と沖縄県の南大東島と北大東島を最後に全国で完了する。山根町は最後から2番目に遅く電話自動化が完了したエリアだった。

農村公衆電話・地域集団電話・電話自動化など地域の電話普及は、そのつど推進協議会が結成されて後押しされた。その旗振り役として陳情などを常にリードしていたのが米内松次郎さんである。これまでに公的な役職を歴任し、現在は深田地区長を務める。「電話が通じる以前は道路も未整備で、住民は地域外の情報から断絶されていたので、焦りを感じていました。このままでは地域が時代から取り残されてしまう、そんな一心から活動していました」と当時を振り返る。「山根では戸数はあまり減らないのに人口が激減している。つまり独居や二人世帯が増えているのです。若い人がいなくなり、お年寄りがほとんど。もし電話がなければ山の中の一軒家にはとても暮らせない状況なんです。電話は、ついた当時は"文化を享受できる喜び"でしたが、今は"生きるための頼みの綱"。この地域にとって電話くらい価値のあるものはないですね」と語る。

若い頃は林業にも従事していたという米内さん。それだけに山中の保守作業の苦労がわかるという。「夏には下枝を払い、草を刈り、冬には深い雪を踏み分けて、山を越える電話線を直しに行くというのは"命がけ"の仕事。どんなに時代が進んでも山の通信設備の保守だけは昔と同じ苦労をしなければならない。採算も取れない地域だけに有り難いことですが、地域のお年寄りの命を守ると思って何とか頑張ってもらいたいですね」とNTTへエールを送る。

通信のユニバーサル(全国一律)サービスを探るシリーズ5回目は、山に暮らす人々を守るという使命を胸に、道なき道に電柱や通信ケーブルを敷設し、山や谷を越えて故障修理に駆けつける技術者たちの姿を追う。

四方を山々に囲まれた、米内トヨさん宅

米内トヨさん。電話でのおしゃべりが雨の日の楽しみと語る

馬内チヨさん。トヨさん曰く「雨の日でもないと、電話にも出ねぇほど忙しい人」

山根町の電話番号一覧。この1枚で全て網羅されている

「ずっと安心して頼れる電話であって欲しい」と語る地区長の米内松次郎さん

昭和38年以降、全国的に導入された600型自動式卓上電話機

下枝を払い、草を刈り電話線を直しに行くというのは"命がけ"の仕事