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第4回 島は生きている

導かれて

三宅島の通信網の復旧と維持にあたるNTT-ME西東京支店三宅島担当の"島っ子"社員7人を脇で支え、自らのNTTマンとしての人生のすべてを三宅島に注ぎ込んでいる3人の男がいる。それはまるで神に導かれるように島の復興支援に取り組むことになった男たちだ。

避難解除が出された2月1日。NTT東日本三宅ビルの現地復興対策本部と本土との電話会議。怒声が飛ぶ。「なんでもっときちんと段取りしないんだ。島民の皆さんが帰ってきた時に困らないような対応をするんだ!」。電話機の向こう側が緊張し、恐縮しているのが分かる。

NTT-ME東京西支店設備部長、中尾光伸。中尾ほど三宅島と運命的な出会いをした人物もいないだろう。もともと、通称「土木屋」といわれるマンホールや通信管路の設計担当で、NTT東日本東京支店災害対策室長に赴任したのが2000年6月26日。まさに、三宅島に緊急火山情報が出され、島中に緊張が走った当日のことだった。

2003年にNTT-ME東京西支店の設備部長に就任してからも復興対策本部長として三宅島をみてきた。そして、2005年3月末、中尾は退職を迎える。

「NTTマンとしての37年間の生活の最後の5年間のほとんどが三宅島のためにあった。周辺4島への迂回ルートの敷設や帰島に向けた準備など、1日も気が抜ける日はなかった」

「NTT」というよりも日本の通信会社にとってすべてが初めてのことばかりだった。商用電源の供給停止によって周辺の島々の通信途絶の危険が起きたこと、かつてない長時間の非常用発電機による運用を強いられたこと、数カ月にも渡る通信設備の停止、そして4年半もの間、十分にメンテナンスが施されなかった島内の電柱や通信ケーブルを円滑に復活していくこと等々。
「考えられることはすべてやったし、NTTグループが持っている災害対策機器はすべて使った」

口が悪いので優しく言えない、と中尾は言う。しかも早口でぱんぱん叱る。お客さまへの対応や作業員の安全を第一に考えているのだ。「家族の前では見せますけど、会社じゃ涙なんて見せないですよ」そんな中尾が一度だけ、社員の前でほろりとしたことがある。非常用電源を守るために電力系を担うNTTファシリティーズの社員たちが、神津島から時化(しけ)の海に翻弄されながらも燃料を運び続けている姿を見たときだ。
「船酔いでへとへとなのに、火山ガスと泥流を相手に重いタンクを抱えて作業をしている。本当にすごいと思ったよ。仕事だからというだけでは、あんなこと誰もできやしない」
「皆が三宅島の通信の灯を消してはいけないということを願って動いてくれた。島の人たちも重油を運んだりいろんな事を手伝ってくれた。社員だけじゃなく島の人たち皆の熱意を感じました。だから僕にとっても2月1日は区切りの日。皆が無事故でやってくれたことに感謝し、これからも島の人たちから『NTTはよくやってくれた』と言われるような仕事を続けていかないとならないが、その役目は新井君たち三宅島担当の皆に託していく」。中尾の声が少しだけ小さくなった。

三宅島担当所長の新井孝夫は、感情の豊かな感激屋だ。自分でも、「話しながら涙を流してしまうような人間で・・・」と笑う。

新井が三宅島担当になったのは2003年4月のこと。通称「線路屋」と呼ばれる通信ケーブルなどの技術者だった。
「所長になってからは、社員とよく話すようになった。自らも被災者であるという厳しい状況の中で働いてくれる社員たちの気をもり立てるのは内心ではつらい仕事だが、怒りながらでもやらなければならない仕事だと思っている」

島の人たちと距離が近いのが嬉しい。誰のために仕事をしているのかが手に取るように分かることが、感激屋の新井には無性の喜びだ。社員たちには、「電話のことならなんでも引き受けてこい」とハッパをかける。

長期間に渡って関係機関との防災会議を担当していたため、島出身ではないが今ではすっかり三宅島の有名人だ。三宅島商工会会長の浅沼基さんは、「本当に一生懸命。新井さんが言っているのなら大丈夫だろう、と皆が思っている」。

埼玉県さいたま市大宮区の自宅に戻ると、ホッとしてよく眠る。帰宅した1日目は「いびきがすごい、と女房に笑われる」。三宅島では単身赴任の社宅住まいだが、新井にはあたためている夢がある。

大宮ではスポーツ少年団でサッカーの指導員をしていた。「子どもたちが島に戻ってきたらコーチを買って出ようか、と思っている。そして大宮の子どもたちを島に呼んで試合をするんだ」。

三宅島担当主査の三田昇も新井と同じ「線路屋」。しかし三宅島では管理や企画の総括的立場にいる。2003年7月に担当となったが、当初から自分の役割は的確に復旧計画を立て、遂行することだと自覚していた。
「三宅島の通信網の復旧は、今まで安定的に整備されていた通信設備が整備されなくなるとどうなるかという大きな課題を示すものでした。道路などの復旧が早く進みそうだったので、それにいかに通信網の復旧を併せていくかも課題でしたね」

三田は、帰島が本格化するのに併せ、「三宅島担当の視点で見た復興のあり方」を改善提案していくのが、これからの仕事の中心になるだろうという。「やはりご年配の島民ほど早く帰島しており、そういうお客さまは故障内容を把握できないまま電話をしてきます。長々と話すよりすぐに駆けつければ安心して頂ける。それは気が重くなりがちな今の状況の中で、私たちが喜びを感じ、自らも回復することにつながるんです」

また、三宅島担当社員たちの家族が島に戻るまでのケアの問題もある。三田は、本土に家族を残しての単身赴任。大学生と高校生の二人の娘は、三宅島のニュースを見るとメールをくれる。「『休みなったら遊びに行くから宿を確保しておいてね』とか書いてきます。本当に来てくれるのかどうかは分かりませんが」。冷静沈着な男の表情が一瞬だけ崩れた。

「この5年間は三宅島のためにやってきた」NTT-ME東京西支店設備部長 中尾光伸

中尾の厳しくも的確な指示が響く

三宅島阿古地区のケーブル復旧工事を見守る

全島避難解除の今年、中尾は退職を迎える

「誰のために仕事をしているかよくわかる」NTT-ME東京西支店三宅島担当所長 新井孝夫

お客さまとの触れ合いを大切にする新井

「私たちが喜びを感じ、自らも回復する」NTT-ME東京西支店三宅島担当主査 三田昇

子どもの話題になると、優しい父の顔に

取材:船木 春仁