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第4回 島は生きている

被災者として復旧を支える者として

現在、三宅島の通信網を守っているのは、NTT-ME東京西支店三宅島担当の9人の技術者たちである。三宅島担当とは現地駐在のいわゆる島の拠点にあたる。所長の新井孝夫と主査の三田昇は単身赴任で、残りの7人は島で生まれたり、島を気に入って住み着いた"島っ子"だ。そして彼らも全島避難命令で島を離れ、慣れない東京で避難生活を送りながら島の通信網復旧にあたってきた。

2005年2月2日早朝、三宅島に帰島の第一陣を乗せた船が着いた。その中に三宅島担当社員の山口甫、前田力、岩間常晴、浅沼等、津軽義則、山本俊一の姿もあった。岸壁でみんなを迎えたのは先入りしていた新井や三田、そして事前準備で入島していた他の仲間たちだった。帰島したみんなの姿を見つけると自然と拍手が起こった。そして、それぞれががっちりと拍手。

考えてみれば不思議な光景だ。この2年間ほどは、2人1組となり1週間交代で島に入り、復旧作業を指揮してきた。何度も、この朝と同じように島に入っている。だのに、この日はやはり違っていた。いつもと違う一日の始まりだった。全員が単身での帰島であり、これからが島の人たちと手を合わせた本当の復興が始まることを噛みしめているのだ。彼らの目に涙がにじんでいた。

だが、それぞれの思いは複雑だ。担当所長の新井が代弁する。
「自分たちの仕事場が島だと分かっていても、家族と離れて暮らすのはつらい。2週間、3週間と島での暮らしが続くうちにふと寂しくなってしまうこともあるだろう。『私と三田主査は単身赴任だから、一緒に家族が戻るまで頑張ろう!』と皆に言っています」

たしかに避難生活が4年半にも及ぶとは誰一人、思っていなかった。避難生活中に子どもたちが就職し、本土が生活の中心となった例も珍しくない。これまでは「島から送り出す」だったのが、今回は「島に戻る」である。この違いは、大きい。

3月末に家族を呼び寄せる予定の岩間は、「個人的には、もう少し島の復興が進んでから戻したかったが、家族は帰りたがっている。下の子が東京での生活でぜんそくになったことが帰島への思いを募らせるのだが、火山ガスがある島で本当に大丈夫だろうかと悩んでいる」と打ち明ける。
「僕は東京にはいたくない。女房と二人だけなので、島の人と復興に力を注げたら良い」というのは山口だ。しかし、多くの島民と同じように避難期間が長すぎたため自宅の傷みがひどい。春にならないと補修ができないのでしばらくは暫定の社宅暮らし。「家電製品もすべて壊れた。衣類も全部捨てた。本当にやり直しですよ」

島の社員にとっての大きな不安の一つが、この4年半は復旧を主にする作業に追われ、新しい通信サービスを勉強したりする時間が少なかったことだ。

前田は、まだ家族を呼び戻す日をはっきりと決めていない。「4年半はブランクだった。新サービスや新商品でお客さまにきちんと対応できるか不安だ。そうした不安を抱えたまま家族を呼び戻してよいのか……」。生真面目なまでに自分と向き合う。

料理好きで皆から「コック長」と呼ばれる浅沼も、同じ意見だ。「東京にはいたくないし、女房も島が良いという。しかし復旧作業に追われ、新しいサービスについての勉強が遅れた。なんとか足場を作り直して勉強したい」。ちなみに、インスタント食品が続く中で、浅沼が手を加えた料理は、厳しい環境の中での作業を続けた社員たちのやすらぎでもあった。

そして、今、彼らは交代で都内に出向き、新サービスや新商品の研修にも余念がない。

誰もが三宅島が好きで、今、自分が何をできるのか模索している。青森県出身で三宅島を気に入り"移住した"津軽は、「(本土と島の)往復がないだけ楽だよ」と明るく笑い、「三宅に戻りたい、住みたいと多くの島民が望みながらも、東京での生活が長くなったり、島で生活を再建できるか不安でとどまっている。少しずつでも環境を整えて、『いつでも大丈夫だよ』と声をかけてあげられるようになりたい」と語る。

山本は、「自分は一人なので気軽ですが」と言った後、「だからこそ、僕みたいなのが一生懸命頑張って島の人が一日も早く家族を呼び戻せるようにしてあげなきゃならいでしょう」と皆を笑わす。すると津軽が、「そりゃそうだ!」と突っ込みを入れ、また皆が笑った。

島で生まれ、島が好きなことは十分に分かる。そのうえで、なぜ島の仕事が良いのかを改めて聞いてみた。異口同音に語るのは、「島では誰のために仕事をしているのか、相手の顔が分かる。東京ではそうではなかった」。

携帯電話の問い合わせも彼らのところに来る。島では、通信のことなら何もかもがNTT-ME東京三宅島担当の社員たち頼みだ。電話があれば、すぐに飛んでいく。

避難指示解除前に島民の一時滞在が何度か認められたが、その時には島民には足となる車がない。自動車を持っていても、長期間の不在で車体が錆びたり、ガソリンが腐ってエンジン不調で使えなくなっているのだ。そうした時、声をかけて運んであげてみんなで助け合った。

新井も三宅島担当所長となって島に来て、よく島民に声をかけた。あるお年寄りが「電電公社は偉いね」と言ってくださった。島民とのコミュニケーションは民営化前からの伝統だ。「島ならではの距離の近さ。それほど愛してくれている。それに応えなければと思った」と語る。

被災者である苦しみを抱えながら、被災者の役に立ちたいと願う7人の社員。役に立つ喜びを感じることが、何よりも自分の回復につながると信じているのである。

"ふるさと"三宅島に船が到着した

帰島したNTT−ME東京社員をあたたかく迎える仲間たち

岩間常晴

山口甫

前田力

浅沼等

津軽義則

山本俊一

取材:船木 春仁