別添資料3/4


<天気予報サービスの歴史とエピソード>

 1954年3月、気象庁から日本電信電話公社(当時)へ、トーキーなどを用いて天気予報案内をしてほしいという要請をいただきました。この要請が今日の「天気予報サービス 177」の始まりでした。
 これを受けて日本電信電話公社では同年9月から録音による「天気予報サービス」を東京など5都府県で試行実施し、好評を得たので本実施することになりました。
 天気予報サービスが制度化されて本実施されたのは1955年1月1日です。
 同時に、中央気象台と日本電信電話公社との間に基本協定と了解事項が取り交わされ、以後気象情報の提供業務は気象庁の外郭団体である財団法人日本気象協会が行うことになりました。実施上の細目は、当時の各通信局ごとに管区気象台と協定して運用することになり、現在に至っています。

<年表> <年表>


エピソード1 中央気象台 問い合わせ番号に悲鳴! 

 中央気象台の予報課に「お天気相談所」が開設されたのは1946年2月でしたが、問い合わせの電話が年々多くなり、3台の電話機は、朝から晩まで鳴り続け、悲鳴をあげた気象台が関東電気通信局の職員と一緒に考えたのが、テープレコーダーと電話を直結するシステム。「モシモシ、明日のお天気は?」とくれば、かねて吹き込みのテープが応対する仕組みでした。1954年6月1日の「気象の日」を期して、「新手のお天気相談」としてテープでの対応を始めましたが、所詮これも焼け石に水。結局、機械的に案内する方法が検討されて、今日の「天気予報サービス」が誕生することになりました。


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