有識者インタビュー 第1回

有識者インタビュー 第1回

子どもを取り巻くインターネットの話題や家庭での対処法をテーマに、子どもを持つ著名人とメディア・情報教育の専門家である東京工業大学 教授 赤堀侃司先生に対談していただきました。第1回のゲストは、佐々木かをりさんです。
※本インタビューは、2008年3月6日に掲載したものです。記載されている情報は、現在と異なる情報などがございますのであらかじめご了承ください。

プロフィール

プロフィール(佐々木かをりさん)

佐々木かをりさん
代表取締役社長、コメンテーター。2児の母親でもある。1987年に国際コミュニケーションのコンサルティングを行う株式会社ユニカルインターナショナルを設立。2000年に市場創造型マーケティング会社、株式会社イー・ウーマンを設立。 政府の審議委員のほか、上場企業の経営諮問委員をつとめる。多摩大学客員教授。「佐々木かをりの手帳術」など著書多数。現在、情報番組のコメンテーターとしても活躍している。

プロフィール(赤堀侃司先生)

赤堀侃司先生
工学博士。東京工業大学・教育工学開発センターおよび、大学院社会理工研究科人間行動システム専攻教育工学講座の専任教授。その他、早稲田大学大学院などの非常勤講師、国連大学高等研究所客員教授の兼任、日本教育工学会会長なども務める。
また、本サイト・ネット安全教室の監修なども行っている。

インタビュー(前半)

本当に必要なのは、収集した情報をどう活用するかという判断力

赤堀侃司先生ご近影

今回のテーマは“メディアリテラシー”ということで、
子どもの情報判断能力やインターネットの関わり方についてお話をしていきたいと思います。
昔と違って今は、インターネットやテレビを通して、情報がシャワーのようにどんどん入ってきます。
その中にはデマや有害な情報がたくさんあって、それが直接子どもに関わっているところに、やはり問題があると思いますね。

佐々木かをりさんご近影

私には、中学1年生の娘と小学校2年生の息子がいるんですが、息子は小さいときからかなりインターネットに興味のある子だったんです。今は自分で知りたいことを検索したり、動画サイトで映像を観たりしているんですよ。メディアに興味がある子どもにとっては、今は想像を超える情報量がありますよね。
テレビも同じで、私は、子どものいるところではニュース番組をなるべく観ないようにしているんです。
児童虐待や自殺などの事件の情報を、高い頻度で子どもに与えるのはよくないな、と思っているのです。子どもの実生活にあった情報量を、と気をつけています。

赤堀侃司先生ご近影

あるお医者さんに聞いた話なんですが、今は患者が自分の症状や出された薬について、インターネットで自分で調べられる。だから知識レベルでは、患者と医者の差が無くなってきてるそうなんです。
じゃあ専門家に何を求めるのか、と言うと、それは「判断力」なんですよね。私の場合も同じですよ。コンピューターの操作に関してなら、私よりも学生の方がずっとスキルがある。
でも本当に必要なのは、操作能力や知識ではなく、収集した情報をどう活用するかという判断力なんですよ。ただ、インターネット上に、(われわれでも有用かどうか)判断するのが難しい情報が増えてきているのは確かですね。

佐々木かをりさんご近影

そうですね。収集した情報をどう組み立てるのか、その中から偽物をどう見極めるのかには、多様な経験が必要ですよね。メディアリテラシーという点で言うと、情報を収集したときに、それをどう使うか、何のために使うかという大目的が欠けたままだと問題が起きるケースが多いかな、と思います。
たとえば、今こうやって赤堀先生とお会いしているリアルな空間では、私は先生に「嫌なやつだ」と思われたくないなとか、(笑)「お互いにいい時間を持ちたいな」と思ってお話をしているわけです。
でも、そういう概念が全く無く、「インターネットだから、二度と会わないかもしれないし、誰に嫌われようと構わない」という前提があると、そもそもリテラシーもマナーも無くなっちゃうと思うんです。
他人と一緒に何か良いものを生み出す楽しさを経験しているなど、実際に人と話をするという経験と、インターネットやメディアを通しての経験のバランスがとれている人は、メディアのリテラシーが高いんじゃないでしょうか。やはりアナログ面が発達していないのにインターネットの海に飛び込むと、使い方や関わり方が分からないのかもしれません。

赤堀侃司先生ご近影

子どもの判断力は非常に流されやすいし、騙されやすい部分があると思いますね。
でもある面では、子どもは子どもなりの判断力を持っていると思うんですよ。
人間は大人も子どもも、それが自分にとって意味のある情報なのか、常に判断しているんだと思います。

佐々木かをりさんご近影

判断をするということは、価値観であり、ある一方を選択する力でもありますよね。たとえば大人が「AはBなのよ」と教えるだけなら、子どもは「ふーん」で終わってしまう。
けれど「AはCだ、と言う人もいるけれど、私はBだと思う。ではあなたはどっちだと思う?」というような、他人の意見を聞いて自分で考えて選択する機会が日々生活の中にあれば、インターネットの情報を鵜呑みにせず、理解や判断ができるようになるんじゃないかな、と思います。