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大学教授 三浦尚之

三浦尚之

3.11後の福島から発信するMFJ 40th Anniversary“東アジアの響き”

 日本フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者として、ドラゴネッティのコントラバス協奏曲を日本人として初めてソロでオーケストラと共演したキャリアを捨て、三浦さんはフルブライト奨学生として単身でニューヨークへ渡った当時の想いを「それはロマンだ」と振り返ります。
 「それまでのキャリアを全て捨てて、全く知らないニューヨークへ単身で行くことになりましたが、それは冒険ですね。私のモットーはロマンと言っていますが、ロマンというのは夢と冒険です。夢を持ちながらチャレンジする精神を長い間持っていたので、マンハッタン音楽大学の或る先生に是非とも習いたい想いでニューヨークへ行き、そこで修士を取り、ジュリアード音楽院でも博士課程に身を置きました。フルブライトといっても一年間しか生活費を貰えないので、当時のアメリカでは組合のメンバーには厳しくてなれなかったのですが、お陰様でアメリカン交響楽団の正団員として、ストコフスキーという有名な指揮者の下で演奏活動ができたのも、私の歴史の中でも、自分としても良かった時代だと思います。その後、リンカーン・センターにあるニューヨーク・シティ・オペラ・オーケストラで正団員として入り、そこで17年間演奏活動をいたしました。ですからオペラに関しては知らないものはないというほど自分のレパートリーに入っていますが、楽しい時代だったと思います。」
 ニューヨーク・シティ・オペラ・オーケストラ在団中の1975年(昭和50年)、三浦さんは日本の現代音楽をアメリカへ紹介する目的でMFJを創設し、以来40年に渡ってニューヨークの日米協会、カーネギー・ホール、リンカーン・センターなど各地でコンサートやシンポジウムを開催し、日米両国の演奏家を起用したユニークな文化交流としてその功績が認められ、1985年(昭和60年)『外務大臣表彰』を授与されます。
 「私自身が東京芸術大学にいた時に、新しい音楽に対して非常に興味を持っていました。演奏活動もしましたし、作曲家との交流もありました。日本の作曲家が素晴らしい実績を持っていると国際的にも認められていた一方、例えば武満徹や黛敏郎、芥川也寸志などは、なかなか海外で紹介されることがなく、私が ジュリアードにいた時でも演奏する機会もなかったし、日本では演奏会をやっているのにアメリカでは聞きに行くこともありませんでした。演奏活動で一生を送るのもひとつの人生観ですが、じゃあ自分でできることはないのかというのが動機でした。それで日本の現代音楽をアメリカ人によって紹介しようと。なぜそうしたかというと『身近な交流』という意味で、ただ一方的に日本の音楽を日本人が紹介するのではなく、日本の音楽を日本人が作曲したものをアメリカ人によって紹介することで『身近な交流』が生まれるようにと思いました。その頃はあまりなかったことなのでとても反響があり、よく紹介して頂きました。日本の作曲家の作品や演奏家を海外で紹介する場をニューヨークに作り、アメリカ人によって紹介することで、世界のコスモポリタン(文化)都市で紹介した方がより影響力があり、日本人の作曲家や演奏家がニューヨークで成功することで自らが刺激を受け、日本の音楽界の発展に繋がればという想いがありました。」
 三浦さんはMFJの活動を続けながら、1986年(昭和61年)、単身ニューヨークから戻ってご親族が経営される福島学院短期大学(現福島学院大学)教授として就任し、学科長、副学長、学長と重責を務めながら、その間も日本とニューヨークを行き来されました。また、ニューヨークに住む奥様と共にMFJ創立20周年を記念して、1994年(平成6年)に『日本音楽資料センター』を設立し、英語でアクセスできる日本の音楽や作曲家に関する貴重な体系的資料をデータベース化し、豊富な資料に基づいた貴重な日本の音楽に関する幅広い情報提供を行なっています。また、2014年(平成26年)2月にMFJは、『沖縄の唄』と題して、石垣島や宮古島、沖縄本島出身の音楽家達がそれぞれの地域に根ざした民謡や委嘱新作を含めた自作の演奏会をニューヨーク市とワシントンDCで開催しました。沖縄とその音楽についてのレクチャー・デモや、沖縄のさまざまな言語、島言葉で唄う音楽について、活発な討論や聴衆との質疑応答が交わされ、地元ワシントン・ポスト紙などで取り上げられました。現在、三浦さんは創立40周年を記念して『東アジアの響き』をテーマに、2015年(平成27年)3月の福島市音楽堂を皮切りに開催される『日中韓音楽祭』の準備に奔走し、震災と原発事故を経た福島から発信する音楽祭への想いを話します。
 「40周年を迎えて、『東アジアの響き』をテーマに『日中韓音楽祭』を2015年(平成27年)3月6日に福島市音楽堂で開催します。21世紀を生きる我々にとっての大切な課題のひとつは、アジア各国との緊密な友好関係を築くことです。創立40周年を迎えるにあたってこれまでの軌跡を振り返り、音楽を通してアジアとの連携という新たな試みを加えることでもっと仲良くなることができれば、MFJとしてもいい節目の40年を迎えられると思います。福島市にはアジア(中国や韓国)から700名ほどの方々が来られ住んでおられます。その方々を全員招待し、祖国の音楽を聴き、祖国の楽器を見てもらいながら、日本の方々と心を通わせて欲しい。そして日本で震災に遭われた人達の生きる力に音楽が役立てればと思っています。福島で生まれ育った者が東京ではなく福島から発信することが願いです。」
 日本とニューヨークを頻繁に行き来することで、三浦さんは常に外からの視点で客観的に日本を捉え、東アジアの総合理解と親善のための有効な文化交流の手段として、3.11後の福島から音楽を通して発信することの意義を確信し、その活動に積極的に取り組んでいます。

取材後記

今回、「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、福島市の福島学院大学教授の三浦尚之(みうらなおゆき)さん。東京芸術大学を卒業後、日本フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者として、日本人で初めてドラゴネッティのコントラバス協奏曲をソロ演奏したキャリアを捨て、フルブライト奨学生として単身でニューヨークへ渡り、ニューヨーク・シティ・オペラ・オーケストラで正団員として長く活躍し、日本の優れた作曲家の作品や演奏家をアメリカへ紹介する場として、ミュージック・フロム・ジャパン(MFJ)を創設。以来、今年で40年に渡って日米両国の演奏家を起用した文化交流を続け、日本の古典音楽や伝統楽器、その演奏家の紹介にも情熱を燃やしています。
◎MFJ:http://www.musicfromjapan.org新規ウィンドウで開く