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飯舘村民物書き 小林麻里

小林麻里

自己を見つめ“原発避難の悲しみを生きる”出会いと気付きの軌跡

 田圃を地域通貨「どうもない」の会で出会った仲間に貸し出し、小林さんは「森の田圃プロジェクト」と銘打って、不耕起、無農薬、手植え、手刈り、天日干しの自然米作りを再開し、苗床作りや田植え、稲刈りなどの度に友人が集まり、作業を終えると小林さんが作ったり持ち寄った食事をみんなで食べ、夏には大量に出るホタル狩りや蓮の花見を楽しみ、頻繁に訪ねてくれる友人らに救われたと話します。
 「喪失の苦しみは消えることはなかったのですが、森の自然の中で友人に助けられ、主人をなくしてから4年間暮らしてきました。2011年(平成23年)になった段階でも、前年に苗床を作り、皆んなでまた畑や田圃をやろうと話し、お金や健康などの事情がない限り、ここで友人たちに助けてもらいながら暮らしていこうと思っていた矢先に震災と原発事故に遭い、ここから出ていかざるを得ない状況になりました。ホントにある日突然、訳も分からずもぎ取られるように、それまでの暮らしを失いました。」
 小林さんは震災の前年から、家に引き籠っていてはいけないと、知人が飯野町で運営する福祉NPOで週に2回程事務の仕事を始め、3月11日は職場で震災に遭い、ペットを心配して夕方帰宅した後は電気と電話が繋がらない中で過ごし、電気が繋がった3日目の14日の朝、12日午後に起こった原発爆発のニュースをテレビで知り、多少の荷物とペットを連れて職場へ避難します。
 「ガソリンも全く手に入らず2週間位動けなくなり、その間にどうやら飯舘村が汚染されたという噂が流れてきて、帰るに帰れなくなりました。3月の末にガソリンが手に入るようになり、久し振りにここに戻ってきてみたら、まだ冬枯れの景色の中に少しずつ福寿草が咲いていたり、スイセンが咲いていたり、ホントに静かで美しい自然がそのまま残っていて、世の中では放射能のことで大騒ぎになっているのに、全然自然は変わらずにある。それを見た時に、私はなぜか心が静まるのを感じて、移住者の友人はほぼ全員いなくなってしまったけど、私はここに残ろう、逃げないでいようと決心しました。」
 小林さんは10年程前に名古屋の映画館で観た、チェルノブイリ事故で廃村になった村の映画『アレクセイと泉』が、飯舘村に放射能が降ったことで映像の記憶が蘇り、あの映画をもう一度観たいと、知人を介して福島フォーラムの支配人阿部泰宏さんへリクエストし、阿部さんは飯舘村のご自宅を直接訪ね、リクエストの意図を上映用リーフレットの文章にと依頼します。この出会いがきっかけとなり、『ベルリン・天使の詩』で世界的に知られるドイツのヴェンダース監督が新作公開で来日した際に、被災地福島での上映と訪問を望み、アテンドを担った阿部さんから、小林さんは飯舘村の案内を依頼されます。
 「阿部さんとは同世代で、お話しを聞きにいらっしゃった時も映画の話しで盛り上がり、特に好きな監督がヴェンダースだと意気投合しました。ある時、ヴェンダース監督が来るかもしれないと阿部さんから連絡あり、信じられなかったんですけど本当にここに来て下さり、『ベルリン・天使の詩』に出てくる天使さながらで、あんなコートを着て、フーっと降り立ったらホントに羽根が生えてるような。ここの状況とか主人を亡くしてしまったこととか、色々なことをお話しさせて頂いて、今も現実だったような気がしません。」
 『アレクセイと泉』上映のリーフレット用に書いた文章が、その後、友人が飯舘村へ連れてきた名古屋大学環境学教授の目に止まり、小林さんは本の執筆を勧められ、ご主人を亡くされてから書き続けてきた日記を引用しながら、震災後に訪ねてきたヴェンダース監督をはじめ、人との出会いの中で感じたことなどを綴り、2012年(平成24年)5月、『福島、飯舘 それでも世界は美しい ー原発避難の悲しみを生きてー 』を出版します。
 「私は9年前に福島へ来て、主人を3年弱で亡くしたり、追い打ちを掛けるように原発事故で放射能汚染があり、ホントに何でこんなに辛いことばかり起きるんだろうと思ったこともあるのですが、それで福島が大嫌いになったかというと決してそうではなく、より福島が好きになりました。起こってしまった苦しみや悲しみと同じぐらい、出会いや気付きを与えられてきたと思っています。人災であれ、天災であれ、個人が背負ってしまった苦しみは個人が引き受けるしかなくて、人の優しさとか美しいものであるとか、本や映画や出会いや気付きであるとか、そういう全ての過去の光によって人は支えられ、極限状態のドン底にいる時に、天はフッと光を届けてくれるのだと思います。」
 本を書き上げることで、「エネルギーを出し切ってしまった」と笑う小林さんが、著書の前書きに綴った文章を最後に。

『苦しみを苦しみのまま終わらせないために
悲しみに押しつぶされないために
絶望で心が壊れてしまわないために
私は書く
すべてをしっかりと受け止めて言葉に変えることで
私はその後の世界を生きていく』

取材後記

今回、「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、飯舘村の小林麻里(こばやしまり)さん。Iターンで自然農業を営んでいたご主人との結婚を機に名古屋から飯舘村へ移住され、わずか3年弱でご主人を癌で亡くし、飯舘の森の自然と友人らに助けられ、立ち上がろうとする矢先に原発事故に遭い、人との出会いや気付きを通し、また、それまでの過去の光を生きる糧にしながら、心を壊さないために懸命に書き綴った本書には、苦しみや悲しみ、絶望の淵で、人は何を考え、どう生きようとするのかを示唆しているように思います。