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独立系映画館支配人 阿部泰宏

阿部泰宏

“センスとアナログ(劇場)”をイノベーションと捉える市民による映画館

 1978年(昭和53年)に公開された映画、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「家族の肖像」に続いて、その翌年に公開されたテオ・アンゲロプロス監督の「旅芸人の記録」は、芸術性の高いアート系映画は興行力が低く、商業劇場から敬遠されがちななか、2年連続で外国映画ベストテン1位となり、単館のロングランヒットを記録して、アート系映画でも商業的な成功が可能であることを示しました。
 その後1980年代に起こった単館アート系映画館が続々と誕生したミニシアターブームでは、東京のミニシアターのスクリーン数が40を超え、映画配給会社も100を超えるほどになり、それまでメジャー系の作品しか観ることができなかった地方の映画ファンの間にも、「観たい映画が上映できる劇場を」の声が上がり、そんななか1984年(昭和59年)、日本で初めて市民(会員)の出資による「映画ファンによる、映画ファンのための映画館」として、山形市で誕生したのが独立系映画館「フォーラム」です。フォーラムは市民による出資金をもとに、福島・盛岡・仙台・八戸へと活動の輪を広げ、1987年(昭和62年)7月、2番目の映画館として「フォーラム福島1・2」を福島市にオープンしました。
 今回「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、独立系映画館「フォーラム福島」の支配人、阿部泰宏(あべやすひろ)さん。阿部さんは新聞社志望の就職活動で結果を出せずにいた大学4年の頃、たまたま夏休みで帰省していた時にフォーラム福島の前を通り、その時の印象を次のように話します。
 「思うような結果が出せずに失意を抱えて帰省していた時、友人の車で市内をウロウロと回遊していたら、たまたま曽根田で白い建物が見え、『これ、映画館なんだよ』と友人が教えてくれました。レストランかカフェのような既存の映画館とは全く違う趣きで、よく目を凝らして見ると、そこにオーソン・ウエルズの『市民ケーン』と、エディー・マーフィーの『ビバリーヒルズ・コップ3』のポスターがあり、ちょっと節操がない、ポリシーのない映画館だなと思いました。というのは大学2年の時にある先生と出会って映画が趣味になり、大学へ行かずに映画ばかり観ていた側面があり、映画には普通の人よりも詳しいこともあって、一体これはどういう経営方針でやっているのかとその映画館に入り、支配人に会わせて頂いて聞くことができました。」
 当時、地方では最大公約数の娯楽性や商業性の強い映画のみが上映され、そんななかで芸術性の高いアート系や独立系の映画を公開する戦略として、フォーラムはひとつの建物に大小のキャパシティ(席数)に分けた2つの劇場を設け、約200席の大きな劇場でメジャー映画を上映し、その収益で補填しながら約100席の小さな劇場でアート系、独立系の映画を上映するスタイルを確立していました。
 「面接という形で山形の社長へ会いに行き、話しをしている内に手伝ってみたいと思うようになり、若気の至りというか、このフォーラムという会社に飛び込んで気が付いたらもう27年目です。満ち足りて充実感を味わえた年月と言いたいところですが、むしろそうじゃないことの方が多く、ひとつの映画に惚れ込んで宣伝し始めると、寝食を忘れて動き回ってしまい肉体的には大変です。しかし、一本の映画を媒介として普段は決して会うことがない人達と出会い、自分にないものをその人に発見して、それが自分の血肉になってくれる、知見が拡がるということが面白くてここまで続けられたのかなと思います。」
 1990年代に入って本格化したシネマコンプレックスの波は、地方都市のフォーラムのような独立系小劇場に危機感をおよぼし、フォーラムの手法に賛同する3万人以上の市民の署名によって支持されるなか、時代はデジタル化のイノベーションの下で様々な変化をライフスタイルにもたらし、映画はパソコンやダウンロード配信によって観るものへと多様化が進んでいます。
 「これからの映画館を経営していくセンスは、単に映画好きだけではなく、他の映像メディアやイベントプランナー的なセンスを持った方でなければ維持運営できない時代に入ってきています。変わらないだろうと思っていたものが変わり、予想し得なかった事態が起こっているなかで、映画館を続けるのは大変という気はしています。ただ最後の最後に変わらない部分は結局のところアナログ性にあることです。」
 暗闇の中に自分を追い込み、映画というものに真剣勝負で向き合える場所は、やはりアナログ性に満ちた劇場という装置に在ることは変えられないと、阿部さんはこれからもそれを訴えていきたいと話します。