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コンテンポラリー農家 安齋一壽

安齋一壽

コミュニケーション・ハブとして“あん果樹”が後押しする福島の未来

 2011年(平成23年)3月の震災後に起きた原発事故により、「あん果樹」にも例外なく降り注いだ放射能汚染と風評被害の影響で、初めから果物の売上は期待していなかったと安齋さんは話し、また、原発事故直後に国が出した食品暫定規制値※が500ベクレルのなか、自主的に安齋さんが東京の民間会社に測定を依頼した果物の測定値は20ベクレル台。2012年(平成24年)の収穫期に、また前年と同じ数値ならダメだと思ったと話し、比較的線量が低い西の郊外の町庭坂地区では、農家の財産といえる表土除去に伴う費用助成がなく、全額自己負担で除染したといいます。
 「事故が起きた2011年の果物の売上は、例年の10分の1にも満たない惨憺たるものでした。当初から県や市の機関では色々な測定値を出していましたが、一定の基準値以下は出しておらず、1単位から測れる民間会社に自主的に測定を依頼し、桃・梨・りんごの品種毎に検査して貰い、数字を正確に表示し、直売所で販売していました。やはり2011年は数値も高かったのですが、その冬と翌2012年の春にかけて、果物の樹を全部高圧ポンプで除染し、手作業で表土の除染も行いました。2012年に桃や梨が出る時期も心配しましたが、前年の10分の1位の1.2〜1.5ベクレル程度まで下がっていました。今年2013年(平成25年)は多分もっと下がり、ほぼ自然と同じぐらいのレベルに戻りつつあると思いますが、まだまだ風評被害もあり、なるべくお客様が戻って来てくれるといいと思います。」
 震災後、様々な支援者やボランティア、アーティストらが国内外から福島を訪れるなか、福島の現実と経験に関する情報収集や発信をしながら、福島に住む被災者や市民、また福島から近県などに避難した人達など、様々な団体や個人が繋がりを持ちながら、福島の抱える問題を話し合い、福島の未来に向けた様々な活動が行われています。安齋さんの下にも、海外体験プログラムの訪問先として日本の東北地方「福島」を選び、放射能汚染と風評被害の影響で被害を被った「あん果樹」の売上回復に至る方策を、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の学生がプレゼンテーションに訪れるなど、震災前から外に開かれた「コンテンポラリー農家」に相応しく、様々なアーティストや支援者らが度々訪れています。
 「震災後、東京や全国からの支援の方々と、いろいろな場所で知り合いになり、それを切っ掛けに家にも来て貰い、長男家族が避難して空いている隣りの家を拠点にして、いろいろなイベントやワークショップを開いたり、夏にはバーベキューをやったり、今まで知り合いになれないような人達とも仲良しになれて、これからもそういう人達と交流を深めていきたいと思います。そして新しい『あんざい果樹園』として、今年から再スタートをしていきたいと思います。息子達も長野と札幌で頑張っているので、それに負けないように頑張りたいと思います。」
 週末などになると、福島に住む若い女性らが企画する、震災後に環境が一変した福島の日常を見直すワークショップや、近県などに避難したお母さんとお子さんらが集い、それぞれに抱える問題点を話し合いながらの情報交換や、遊びを通しての子供達の健康のケアなど、コミュニティスペースとして開放した隣家では、いつも屈託のない笑い声が響き、明るい笑顔が家中に広がっています。

※:2011年(平成23年)3月17日、厚生労働省が発表した食品衛生法上の食品中に含まれる放射性セシウムの暫定規制値:パン・パン製品、野菜、果物、肉・肉製品、魚・魚製品などの放射性セシウム(134、137の合算)食品暫定規制値を500ベクレル/キロ(乳・乳製品は200ベクレル/キロ)に規定。2012年(平成24年)4月改定。

取材後記

今回、「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、福島市の“あんざい果樹園”3代目の安齋一壽(あんざいかつじゅ)さん。以前から生業の果樹栽培以外に、ご家族で器ギャラリーやカフェを開くなど、型にはまらない自称“コンテンポラリー農家”として、様々なメディアで取上げられてきました。外に向いて開かれた安齋さんの下には、以前から様々な人達が全国から訪れ、特に震災後は交流の幅が広がり、様々な業種や立場の人と人を繋ぐコミュニケーション・ハブとして、自称どころか、自他ともに認める“コンテンポラリー農家”としての存在感を示しています。
◎あんざい果樹園:http://www.ankaju.com