支店ホーム > ふくしま人 > 星の村天文台台長 大野裕明


星の村天文台台長 大野裕明

大野裕明

人と人、宇宙と人、星の村で蘇った望遠鏡で繋ぐ“絆”

 星の村天文台のオープン20周年を迎える準備を進めていた2011年(平成23年)3月、太陽に出ていた大きなプロミネンス※を観測していた大野さんは、少し遅めの昼食を取ろうと事務所に戻って来たところで東日本大震災に遭遇します。
 「グラグラときて、一番最初に考えたことは、天文台がどうなっているかでした。まだ余震が続くなか天文台に登って中へ入ると、目の前に大きな空間ができていて、一瞬、この空間は一体何だろうと思いました。」
 大野さんが目にしたものは、立ち込める埃の中に、主軸が折れて脱落し、台座から床に落下した65cm反射望遠鏡の無惨な姿で、地震直前まで太陽観測で座っていた椅子を押し潰し、床下に鏡筒の一部がめり込み、震度6弱の大地震の揺れがもたらした凄まじさを物語っていました。
 「大きな地鳴りとか、木がユサユサとして、建物がギシギシといっている時に、大きな音を立てて崩れ落ちたのでしょうけど、その音は聞いていません。もうこの天文台も閉鎖かと思いました。ただ、望遠鏡は壊れてしまいましたが、セルという器に入っていた鏡は無事でした。」
 震災直後、海外や日本公開天文台協会(JAPOS)、国立天文台、明石天文台、四国一円から天文仲間が集めた募金が届けられるなど、次々と応援メッセージや寄付金が寄せられるなか、9月には望遠鏡修復を含む補正予算が市議会を通過し、早々に復旧へ向けた具体的な動きが始まりました。
 「ここは観光天文台ですが、一般の教育の方にもお見せしていたお陰で、文化庁からも補助金を頂き、元通りの新しい大きな望遠鏡に復元することができました。私が一番、目に掛けて作り上げて頂いた鏡が、無事生きていたことは何よりでした。私が長年を掛けて精度を高くして作りあげてきた望遠鏡が、そのままのかたちで受け継がれたことが、とても嬉しいと思います。」
 2012年(平成24年)3月、壊れた望遠鏡が大型クレーンにより運び出され、耐震強度が5tから2tへと改めて見直されたことで、大幅に軽量化された新しい鏡筒と架台が5月に搬入されました。天文台オープン20周年を記念する予定が、震災のため同年7月、星の村天文台は1年遅れのリニューアルオープンとなりました。
 「望遠鏡が壊れてから復興するまでの間、天文台を一時閉鎖することになり、私達の心と行動でできることは何だろうと職員と相談しました。私達はやはり星を見せることや星を話すことだろうと、私の腕ぐらいの望遠鏡を持ち、南三陸や陸前高田まで出向き、避難をされている体育館や学校などへ度々出掛けました。ある望遠鏡メーカーさんは、“復興支援”と書いた特別な星座早見盤を1万枚も作ってくださり、人と人を繋ぐ、宇宙と人を繋ぐ望遠鏡として、新しい望遠鏡に“絆KIZUNA”と名前を付けさせて頂きました。」
 避難をされた人にも、復興にあたる人にも、“絆KIZUNA”で沢山の星を見て頂き、星を見て楽しんで頂くことで、数多くの方々に心豊かな人生を送って頂けるようにしたいと、大野さんはこれからの活動に新たな気持ちを立てたと、にこやかに結びました。

※プロミネンス:太陽の表面に現れる巨大な低温ガスの固まり。太陽の縁から燃え上がる炎のように噴き出す。

取材後記

今回、「ふくしま人」へご登場を頂いたのは、田村市滝根町にある“星の村天文台”台長の大野裕明(おおのひろあき)さん。小学校の担任の先生が見せてくれた、望遠鏡で映した太陽が切っ掛けとなり、それ以降は天文に魅せられた“天文病”人生。家業の呉服屋・染屋、そして3人の子育ても奥様にお任せし、正に天文一筋の人生を送られています。副台長を務めるご次男をはじめ、今となればそれもいい思い出と一笑とのこと。
◎田村市滝根町星の村天文台:http://www.city.tamura.lg.jp/soshiki/20/hosihomura-top.html
◎大野裕明のホームページ「星のおおのさま」:http://www10.ocn.ne.jp/~space84