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会津桐タンス職人 角田庄伸

角田庄伸

山の恵みが海に踊る“KIRI DANCE” 山の技と海の技とのコラボ

「Abe Shape & Design」の阿部さんが天然素材の桐に着目をしたのは2006年4月のこと。雑誌の企画でオーストラリアの桐のサーフボードを作るシェーパー※を訪ね、現地で乗り心地を試してみると落ち着いた感覚を覚え、一本の桐サーフボードを持ち帰ります。帰国後、さっそく国内の桐産地を調べ、上質の特級品を産出する三島町の会津桐を聞き、8月に会津桐タンス株式会社を訪れます。
阿部さんが桐のサーフボードの原型制作を依頼したのは、3メートルを超える最も長いロング・サーフボード。真っ直ぐな3メートルを超える柾目が取れる桐材は極少ないことから、「木材の輸入自由化の後、桐の植栽が減ってしまって、その長さの桐材を調達できるかも不安でしたね」と、この時会津桐のサーフボード制作に抜擢された角田さんは、当時を振り返って話します。
この時から桐箪笥職人角田さんとサーフボード職人阿部さんとのコラボレーションは始まり、基本的なサーフボードのレクチャーやウッド・サーフボードの構造、必要な部材の確認や構造に沿った部材の作り方などを互いに意見を出し合い、その後も三島町と鎌倉とで連絡を取り合いながら、角田さんの作業が進められました。
サーフボードは3次元の曲線で構成される造形で、微妙な曲線の付け具合や胴体内の空洞構造に、角田さんは四方丸(しほうまる)や胴丸(どうまる)などの桐箪笥独特の意匠で習熟した感や経験を随所に発揮し、数種類の型板や工程毎に使い分ける4本の専用カンナを自ら作り、また桐板を圧して微妙な曲線に仕上げる専用の大型の道具を発案するなど、微に入り細に入り、桐箪笥職人の繊細で大胆な技を随所に込め、約3ヶ月後の11月に一本の会津桐サーフボードの原型を作り上げました。
そして三島町の角田さんから、鎌倉の阿部さんの下へと手渡された原型は、桐独特の艶を保つため本来使用する紙ヤスリを避け、手作りの専用カンナで百分の数ミリ単位で丁寧に削られ、防水処理のガラスクロスのラミネートを施し、表面を滑らかに仕上げるサンディングを経て、遂に最初の会津桐サーフボードが出来上がります。「桐のボードで、踊るように美しく波に乗りたい」という願いを込めて「KIRI DANCE(=桐ダンス)」と名付けたボードの表面にロゴを刻み、そして「AIZU MISHIMA」の三島桐焼印も印されました。
「オーストラリアの桐サーフボードを見ながら、毎日試行錯誤の連続でした。胴体の位置で部材を使い分けたり、表面と裏面、側面の曲線の作り方はとても難しい。とにかく桐箪笥作りとは全く別世界でした。出来上がってひと安心はしても、やっぱり実際に波の上で阿部さんに乗ってもらい、オーストラリアの桐ボード以上の仕上がりと言って頂いた時には、本当に安心しました。」と、鎌倉でのテストライディングの様子を思い出して感慨深く話します。
「KIRI DANCEの経験は、日頃の箪笥作りでは気付かない、会津桐の新しい可能性が有ることを知った」と角田さんは話し、木材の輸入自由化以降、ピーク時の10分の1以下までに減少した会津桐の現状で、上質な材質と精緻な桐箪笥職人の技術があらためて評価され、桐が作る柔らかな音色に着目した桐製のギターやスピーカー、また美大生らと現代感覚にマッチした家具や照明器具などが作られ、会津桐は只見川の川霧の白いモヤの中に浮かび上がり、斬新な企画や商品化で再び息を吹き返しつつあります。

※シェーパー:ブランクスと呼ばれるウレタン素材を加工してサーフボードの原型を作る職人。サーフボードの善し悪しはこのシェープで決まると言われる。

取材後記

今回ご登場頂いた「ふくしま人」は、会津三島町の桐箪笥職人角田庄伸(つのだ しょうしん)さん、35歳。「茶髪にピアスの桐箪笥職人はいませんね」と自嘲しつつ、この道15年の三島桐箪笥の匠。柔軟で自由な感覚が、鎌倉のレジェンド・シェイパー阿部さんとのコラボで、初めての会津桐サーフボード「KIRI DANCE(=桐ダンス)」を作り上げました。道の駅「尾瀬街道みしま宿」で、貴重な「KIRI DANCE」をご覧頂けます。一見の価値有りです!
◎会津桐タンス株式会社:http://www.aizukiri.co.jp/
〒969-7402 福島県大沼郡三島町大字名入字諏訪の上394番地
電話 0241-52-3823 FAX 0241-52-3828
◎Abe Shape & Design:http://www.asdsurfboard.com/