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いわき市「白水阿弥陀堂」

白水阿弥陀堂白水阿弥陀堂

 いわき市内郷白水町にある真言宗願成寺(がんじょうじ)の国宝「白水阿弥陀堂」は、平安時代後期の1160年(永暦元年)、当時のいわき地方の国主岩城則道(いわきのりみち)の妻徳姫(とくひめ)が、則道の死後剃髪して徳尼御前(とくにごぜん)となり、菩提を弔うために願成寺と白水阿弥陀堂を建立したとされ、堂内には国宝の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)、観世音菩薩像(かんぜおんぼさつぞう)、勢至菩薩像(せいしぼさつぞう)、持国天像(じこくてんぞう)、多聞天像(たもんてんぞう)の5体の仏像が安置されています。
 徳尼は奥州平泉藤原清衛(ふじわらきよひら)の娘で、白水の地名は郷里平泉の「泉」を「白」と「水」に分け、平の地名も平泉の「平」、そして白水阿弥陀堂は平泉の金色堂にならって建立されたと伝えられ、平安時代から広まった仏教の浄土思想に基づき、阿弥陀如来が住まう極楽浄土を具現化した広大な浄土庭園が造られました。経典には極楽浄土に七宝の池があり、池に八つの功徳水が満ちて蓮花が咲くとあるように、背後に蓮の花にたとえて経塚山(きょうずかさん)を主とした山々があり、東側に夕日滝、西側に朝日滝の跡が残され、園池には俗界から極楽浄土へと繋ぐ二つの中島が南北に並び、その間に架かる反り橋と平橋とを渡って白水阿弥陀堂へと続いています。
 白水阿弥陀堂は1957年(昭和32年)の発掘調査により、東西の池の汀線(ていせん)・石組・州浜(すはま)・中島に架かる橋跡が確認され、浄土式庭園を伴った寺院であることが明らかになり、お堂と浄土式庭園、自然空間をも含む環境がよく保存されていたことから、平安時代の東北地方南部の仏教文化を考察する上で貴重なものとされ、1966年(昭和41年)国の史跡に指定され、その後の周辺土地公有化と庭園復元事業が進められ、12世紀の創建当初の平安時代の姿に復元されました。

浄土庭園浄土庭園

 阿弥陀堂が南面し、経塚山(きょうづかさん)を主とした背景の山々を蓮の花にたとえて、平安時代から鎌倉時代かけて築造された仏教の浄土思想の影響を受けた日本庭園の形式。極楽浄土に七宝の池があり、八つの功徳水が池に満ちて蓮花が咲く様を具現化した園池とされ、現在の庭園は1972年(昭和47年)から復元事業が進められました。

白水阿弥陀堂白水阿弥陀堂

 お堂は方三間単層宝形造り(ほうさんまたんそうほうぎょうづくり)の柿葺(こけらぶき)で、内陣の本尊背後の来迎壁板(らいごうかべいた)表裏に文様跡があり、長押には宝相華(ほうそうげ)の模様、内陣・外陣(げじん)とも折り上げ小組格天井(こぐみごうてんじょう)で、内陣の天井にも宝相華の模様が残り、堂内周囲の全ての壁板にあった壁画は剥落し、一部にその面影が残されています。

俗界と浄土をつなぐ橋俗界と浄土をつなぐ橋

 仏教の浄土思想の影響を受けた極楽浄土を具現化した、池・島・橋・阿弥陀堂を配した広大な園池には、二つの中島が南北に並んで浮かび、入り口の反り橋から中島へと渡り、次に平橋を渡って出島に建つ阿弥陀堂へと続き、南から北へと向かう導線は俗界と極楽浄土を繋ぐ架け橋の役割を担い、訪れる人々は二つの橋を渡ることで、生きたまま極楽浄土を垣間見ることができるといわれています。

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