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本宮市「花と歴史の郷蛇の鼻」

立ち寄りたい「本宮市の史跡」

岩井の清水岩井の清水

 「花と歴史の郷蛇の鼻」の南約1kmの日記沢にあり、俗に「一盃清水」といわれ、源義家軍の一行が、ここを通り水を求める兵士のために、弓の矢じりで岩を掘ったところ、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。交通路が変わり世の中から忘れられ、1816年(文化13年)、本宮の国学者小沼幸彦(おぬまさちひこ)著の『石井考(いわいこう)』が白河藩主松平定信の認めるところとなり、名泉として世に認められました。

安達太良神社安達太良神社

 JR本宮駅の北東約1Km、阿武隈川の西岸の菅森山(すがもりやま)に、1146年(久安2年)、安達太良山麓から現在地に遷座し、安達太良山と支峰の大名倉山の神々も合祀し、地名を本目から本宮と改め、安達一郡の総鎮守としました。秋季祭礼では街の目抜き通りに露店が立ち並び、裸神輿、先囃子、子供山車・樽神輿、女性だけの真結女御輿が勇壮に市街地をねり歩きます。

人取橋(ひととりばし)古戦場人取橋(ひととりばし)古戦場

 1585年(天正13年)、常陸の佐竹、会津の芦名、白川、石川、須賀川の二階堂、磐城、相馬の連合軍約3万と、伊達政宗の軍勢7千余が戦った古戦場。伊達の将、茂庭左月が手勢を率い、本宮市南方の荒井辺りまで進んだところ、連合軍の大軍に人取橋まで押し戻され、味方の後陣(しんがり)となって奮戦し、乱戦のなかで討ち死にしました。

お問い合わせ

岩井の清水
住所:福島県本宮市青田字岩井64【地図

安達太良神社
住所:福島県本宮市本宮字舘ノ越232【地図

人取橋古戦場
住所:福島県本宮市青田字茂庭【地図