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田村郡三春町「城山公園と福聚寺

三春町について

舞鶴城跡碑の写真

舞鶴城跡碑

1339年頃の史料で、「御春(みはる)」という地名が文字のうえで最初に確認され、南北朝の争乱に参加した武士団が三春地方に存在していたことがうかがえるそうです。
現在の郡山市田村町である守山にいたとされる田村氏が
三春城を築き入城したのは、1504年という判断が妥当とされています。それが、田村義顕(よしあき)です。

大門跡の写真

大門跡

大門跡の写真

大門跡

標高410メートルの、大志多山(おおしだやま)の一帯が三春城の跡とされています。戦国大名・田村義顕(よしあき)が最初に築城したといわれ、山頂からは吾妻山、安達太良山や阿武隈の山並みを望むことができます。山の下から見上げて、鶴が舞うように見えることから「舞鶴城」という名が残っています。

藩校の門

藩校の門

「お城山(おしろやま)」と呼び親しまれる城山公園。下りたところに旧三春藩講所「明徳堂(めいとくどう)」の表門が移築され、現在は三春小学校の校門として使用されています。
18世紀後半に7代三春藩主秋田倩季(よしすえ)により、藩士子弟の教育を目的として設けられたのが藩講所「明徳堂」です。

門の額

門の額

倩季の筆による明徳堂の扁額を掲げる表門は「明徳門」とも呼ばれています。現在の三春町歴史民俗資料館の下、駐車場の周辺にありましたが、かつて追手門のあった三春小学校入り口に、戦後になり移され、小学生が登下校の際にこの門を通ります。

福聚寺山門

福聚寺山門

案内板によると「暦応2(1339)年、田村輝定により安積郡八丁目(現在の郡山市日和田町)に創建された田村家の菩提寺で、16世紀初めに田村義顕が三春へ居城を移すのに際して、ここへ移りました。
寺の裏手の高台に、田村義顕・隆顕・清顕の墓があり、町の史跡に指定しています。

また、隆顕と清顕が2代に渡って寺に出した田村氏掟書は、福島県の指定文化財です。
ほかにも、田村三十三観音の第2番札所となる木造十一面観音像や、戦国時代の画僧雪村周継筆の達磨図など、多くの文化財を所蔵します。 三春町教育委員会」

山門額の写真

山門額

福聚寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は慧日山。本尊は釈迦如来、住職は小説家でもある玄侑宗久氏。
山門右方奥の枝垂れ桜は、樹齢約470年で、田村氏が植えさせたと伝えられます。

本堂の写真

本堂

田村三代墓所の写真

田村三代墓所

田村三代墓所の写真

田村三代墓所

枝垂れ桜の写真

枝垂れ桜

十一面観世音堂の写真

十一面観世音堂

三春町には、国の天然記念物指定の「滝桜」があり樹齢を1000年と推測され、同様にきわめて高樹齢です。これほどの樹齢を可能にしている理由として、挿し木・接ぎ木ではなく、実生の木であることが挙げられるといいます。現在、三春町が取り組む震災復興のための「実生プロジェクト」は、子どもたちを生涯にわたって放射能から守ろうという活動ですが、その名称も、種から芽を出し、高樹齢を誇る、これら実生の桜にあやかりたいということから名付けられています。
滝桜の動画は下記よりご覧いただけます。
三春町滝桜2006年2004年2003年

お問い合わせ

お問い合わせ:「三春実生プロジェクト事務局(三春町役場総務課内)」
電話:0247-62-2111(代)FAX:0247-61-1110
【HP】http://fukushima-misho.com/index.html
【E-メール】kikakujoho@town.muharu.fukushima.jp