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テレビ イメージ

通信偉人伝

FILE4

ファーンズワース ―テレビの基礎技術”走査線”を考案

テレビの実用化が検討されている1930年頃のこと。テレビの基礎技術を発明したベアード、ファーンズワース、ツヴォルキンの3人は、イギリスBBCのテレビ放送への採用を巡って争った。

テレビの原理を発明したニプコー

図 ニプコー円板の仕組み
ニプコー円板の仕組み。画像を線に分解し走査線をつくり、これを電気信号や電波に変換して伝送する。

テレビの原点は、ドイツの技術者ニプコー(ポール・ニプコー)により発明された「ニプコー円板」にあるといえるだろう。
ニプコー円板とは、螺旋状に無数の穴を開けた円板のことである。
回転するニプコー円板の外側から、送信する画像に光を照射すると、円板の穴が画像の光を切り取り線状に分解する。分解した画像の光を、円板の内側に置いた光センサー(光電管)が電気信号に変換して送信。受信側には電気信号を光に戻すネオン管があり、そこで再び電気信号は光に戻される。その光を回転する受信側のニプコー円板越しに見ると、見事画像が再現されるという仕組みだった。
このように映像を1本の線に変換した電気信号を「走査線」と呼んでいる。画像を走査線に分解して電気信号として送信、受信側で画像に再構築するという考え方は現代のテレビにも通じている。
ニプコーは、1885年にニプコー円板の特許を出願。特許は受理されたが、この技術は結局日の目を見ることなく15年後に特許失効となった。一説によると、ニプコー円板の実物はつくられていなかったという話もある。
このニプコー円板を改良したのが、スコットランドの電気技師であるベアード(ジョン・ロジー・ベアード)だ。ベアードは、ニプコー円板をヒントに1924年、物体の輪郭を伝送することに成功。1925年には人間の顔の伝送を成功させ、1926年にはロンドンで公開実験を行うなど、テレビの技術を確実に開拓していった。さらに1928年には、カラーテレビの公開実験にも成功。この実験には、ニプコーも同席しており、「私が45年前に考案した発明がようやく実現された」と感動したという。
しかし、ニプコーやベアードが発明したテレビは、円板を回転させるという機械式のものであり、現代のテレビの基礎とは異なるものだった。

ニプコーの“点”で送るテレビから、ファーンズワースの“線”で送るテレビへ

図 走査線の概念
イメージディセクタ撮像管は光を電気信号に変換する装置。機械式のニプコー円板に代わり、テレビ映像の送信機として取り入れられた。

ニプコー円板には、円板を回すという機械的な動作があるため故障が多い、鮮明な画像を送るためには円盤に多くの穴を開ける必要がある、被写体に強い光を当てなければならないなどの欠点があった。このようなニプコー円板の欠点を解消し、現代のテレビに近い技術を発明したのが、アメリカの発明家であるファーンズワース(フィロ・テイラー・ファーンズワース)である。
ファーンズワースは1927年、機械的な円板を用いず、光学技術で光の強弱を感知し画像を電気信号に変換する「イメージディセクタ撮像管」を用いて映像を「走査線」として取り出すことに成功した。ニプコー円板式のテレビと異なり、機械的な仕組みを排除したことが、この発明の最大の功績といえるだろう。
ちなみに、この走査線の原理は、農場で育ったファーンズワースが、畑の畝(うね)の作り方を見て思いついたとされている。最新の科学の発想の元が農業にあったとは、何とも意外である。
しかし、残念ながら感度が低く実用化できるものではなかった。ファーンズワースは改良を重ねて感度を向上させ、1929年には機械的な動作をすべて排除した技術を発明し、公開実験を行った。
このファーンズワースのテレビよりも、さらに現代のテレビに近づける技術を発明したのがツヴォルキン(ウラジミール・ツヴォルキン)だ。
ツヴォルキンは、1923年にアメリカのピッツバーグのウェスティングハウス社にて、独自にテレビの発明を開始した。ブラウン管を用いたテレビを発明し、何度も公開実験を行うものの、ウェスティングハウス社からは成果を認められることはなかった。そこでツヴォルキンは1930年にウェスティングハウス社を飛び出し、電機メーカーのRCA社に移り、開発を進めた。1931年には、このRCA社でイメージディセクタ撮像管よりも感度が高く鮮明な映像が送信できる撮像管「アイコノスコープ」を発明した。

イギリスBBCへの採用をめぐり激しいバトル

図 BBCでのテレビ技術採用における各社の対立
BBCでのテレビ技術採用における各社の対立。ツヴォルキンが勤務するRCA社/マルコーニ/EMIの連合と、ベアード/ファーンズワースのふたつの方式が争った。

このように、ファーンズワースとツヴォルキンは、それぞれ異なるテレビの基礎技術を発明した。そして、この頃から本格的なテレビ放送が各国で計画され、どちらの方式がテレビ放送で採用されるかという熾烈な争いを繰り広げることとなった。
まず1931年、ツヴォルキンの技術を保有するRCA社は、ファーンズワースに特許の買い取りを提案するが、ファーンズワースはこれを拒否。そこでRCA社は、無線通信の分野で大きな成果を上げテレビの開発にも取り組んでいたマルコーニ社と特許を共有した。
一方、ファーンズワースは、ニプコー円板を元にテレビの原型を発明したベアードの会社に特許を売却。さらに、このベアード・ファーンズワース連合は、イギリスの標準規格をめぐり、テレビ技術の開発を進めていたイギリスのEMI社と競争を繰り広げていた。
1934年、EMI社はマルコーニ社を買収し合併。これによりEMI社は、マルコーニ社とRCA社の技術も手に入れる。このようにして、テレビの方式は、ツヴォルキンが勤務するRCA社/マルコーニ社/EMI社と、ベアード/ファーンズワースのふたつに分かれたのであった。
ふたつの方式の命運を分けたのは、英国放送協会(BBC)によるテレビ放送だ。BBCは1929年からすでにテレビの試験放送を行っていたが、本格的な開始に向けて、このふたつのテレビ方式のどちらを採用するか検討。最終的に、1937年にEMI-マルコーニ方式が正式に採用された。

今回のキーワード

ファーンズワース
:テレビを発明した1人。テレビ以外にも、レーダー、核融合、電子顕微鏡など多くの発明を残している。
ニプコー円板
:1883年にニプコーが考案したテレビの基礎技術。しかし、1924年にベアードが実験を行うまで約40年にわたり、テレビの技術は進化することはなかった。電話も無線電信もそうだったが、どの時代でも新しい技術は、世の中になかなか受け入れられないようだ。
次回予告
ペリー 黒船とともに、“電信”は日本へとやってきた
日本に電信が伝わったのは、江戸時代も末期の1853年。もたらしたのは、“黒船”で知られるあのペリー提督だった。電信が初めてやってきた時、日本の驚きや反応は…?!

次回予告イメージ 本

参考資料:
小学館 『日本大百科全書』『デジタル大辞泉』
コロナ社 『電気情報通信レクチャーシリーズA-2 電子情報通信技術史 主に日本を中心としたマイルストーン』
筆者プロフィール
安達崇徳(あだちたかのり)
フリーライター。エンジニア時代は、LinuxやRubyなどを用いて業務システムを構築。IT系雑誌に転職してからは、ブロードバンドを普及させようという思いで、ISPの料金表やインターネット接続図の編集を担当した。Webニュースに異動してからも、Wi-Fi、3G、LTE、WiMAXなど、移動や固定にとらわれずネットワークの市場や技術に関して動向を追い、今に至っている。

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